今さら聞けないSLAM:基本から学ぶアルゴリズム
はじめに
近年、ロボット技術、自動運転、AR/VRといった分野で「SLAM」という言葉を耳にする機会が増えました。しかし、「なんとなく自己位置推定と地図作成を同時にやるやつらしい」という漠然とした理解で止まっている方も多いのではないでしょうか。
SLAMは、これらの先端技術の根幹を支える非常に重要な技術です。しかし、その仕組みは多岐にわたり、複雑なアルゴリズムに基づいています。「今さら人に聞けない…」と感じている方のために、本記事ではSLAMの基本から、その構成要素、代表的なアルゴリズムまで、分かりやすく詳細に解説します。
この記事を読めば、SLAMがなぜ難しいのか、そしてどのようにしてその課題を解決しようとしているのか、さらにはどのような応用が可能なのか、といった全体像を掴むことができるでしょう。
さあ、一緒にSLAMの世界へ踏み出しましょう。
SLAMの基本概念
SLAMとは Simultaneous Localization And Mapping(自己位置推定と環境地図作成の同時実行)の略称です。ロボットやセンサーを搭載したデバイスが、未知の環境を移動しながら、自身の現在位置を推定しつつ、同時にその環境の地図を作成する技術です。
この「同時」というのが、SLAMの最も重要な点であり、かつ難しい点です。なぜ難しいのでしょうか? それは、「自己位置が分からなければ、観測したデータから正確な地図は作れない(どこから見た景色か分からないから)」という問題と、「正確な地図がなければ、そこから自己位置を正確に推定することはできない(参照するものがないから)」という問題が、あたかも「鶏が先か、卵が先か」のように密接に関係しているからです。
従来のシステムでは、あらかじめ作成された高精度な地図を使って自己位置を推定したり、自己位置をGPSなどの外部情報で取得しながら地図を作成したりしていました。しかし、GPSが使えない屋内環境や、事前に地図がない未知の環境では、これらの方法は使えません。SLAMは、このような制約のある環境下で、ロボット自身が手探りで環境を探索しながら、自身の「今いる場所」と「周囲の世界の形」を同時に理解しようとする挑戦的な技術なのです。
つまり、SLAMの目的は、センサーデータのみを頼りに、以下を高い精度で実現することにあります。
- Localization (自己位置推定): デバイス(ロボットやカメラなど)の現在の姿勢(位置と向き)を推定する。
- Mapping (環境地図作成): 環境の幾何学的構造や特徴を表現する地図を作成する。
そして、これらを同時並行で行うことによって、どちらか一方だけでは解決できない「鶏と卵」問題を克服しようとします。
SLAMは、初期状態では自分の位置も環境の形も全く知りません。センサーが捉えた断片的な情報(例:カメラ画像の特徴点、LiDARの距離データ)を基に、少しずつ自分の動き(オドメトリ)と環境の形状(地図)を推定していきます。この推定プロセスは、常に誤差を含みます。自己位置推定の誤差は地図に歪みを生み、地図の歪みはさらなる自己位置推定の誤差を招きます。この「誤差の蓄積」こそが、SLAMが克服すべき最大の課題の一つです。
SLAMの構成要素
複雑なSLAMシステムは、いくつかの主要なモジュール(構成要素)に分解して考えることができます。これらのモジュールが連携することで、SLAMの機能が実現されます。
一般的なSLAMシステムの構成要素は以下の通りです。
- センサー入力 (Sensor Input)
- フロントエンド (Frontend)
- バックエンド (Backend)
- ループクロージング (Loop Closing)
- 地図構築 (Mapping)
それぞれのモジュールについて詳しく見ていきましょう。
1. センサー入力 (Sensor Input)
SLAMは環境を観測するためのセンサーが必須です。どのようなセンサーを使うかによって、SLAMの特性や難易度が大きく変わります。
主要なセンサーには以下のようなものがあります。
- カメラ (Camera):
- 単眼カメラ (Monocular Camera): 最も一般的で安価。画像からテクスチャ情報や特徴点を豊富に取得できる。欠点は、単体では奥行き情報(スケール)が得られないこと。スケールは初期化時や追加センサー(IMUなど)で補う必要がある。
- ステレオカメラ (Stereo Camera): 2台のカメラを平行に配置し、両方の画像から視差を計算することで奥行き情報を取得できる。単眼カメラのスケール問題を解決できるが、カメラ間の較正が必要で、計算コストが増加する。基準線長(baseline)が短いと遠距離の精度が落ちる。
- RGB-Dカメラ (RGB-D Camera): 通常のカラー画像(RGB)に加えて、各ピクセルの奥行き情報(Depth)を取得できるセンサー(例:Kinect, RealSense)。Structured Light方式やToF (Time-of-Flight) 方式などがある。奥行き情報が直接得られるため、点群ベースの地図作成などが容易になる。ただし、屋外や明るい場所での性能、測定距離に制限がある場合が多い。
- LiDAR (Light Detection and Ranging):
- レーザー光を照射し、物体に反射して戻ってくるまでの時間や位相差を測定することで、物体までの距離を高精度に計測する。周囲の環境を高密度の点群データとして取得できる。明るさの変化やテクスチャ情報に左右されにくく、屋外環境でもロバストな性能を発揮する。ただし、カメラに比べて高価で、色情報は得られない。
- IMU (Inertial Measurement Unit):
- 加速度センサーとジャイロセンサーから構成され、物体の線形加速度と角速度を計測する。短い時間スケールでの物体の動き(姿勢変化)を高頻度で取得できる。自己位置の推定に役立つが、時間経過とともに積分誤差が蓄積し、ドリフトしやすい。SLAMにおいては、カメラやLiDARのフレーム間の微小な動きを補完し、トラッキングのロバスト性を高める目的でよく併用される(Visual-Inertial SLAM: VI-SLAM)。
- GPS (Global Positioning System):
- 衛星からの信号を受信して地球上での絶対位置を推定する。屋外では非常に有用だが、屋内や高層ビルの谷間では利用できない、精度が数メートル程度の制限がある、といった課題がある。SLAMでは、初期位置の特定や、大域的な位置補正のために他のセンサーと組み合わせて使われることがある。
これらのセンサーは、単独で使用される場合もありますが、複数のセンサーを組み合わせる「センサーフュージョン」によって、それぞれの欠点を補い合い、より高精度でロバストなSLAMシステムを構築することが一般的です。
2. フロントエンド (Frontend)
フロントエンドは、センサーから入力された生データを処理し、ロボットの局所的な動き(姿勢変化)を推定し、バックエンドに送る役割を担います。センサーの種類によって処理内容は異なりますが、一般的な処理の流れは以下のようになります。
- データ前処理: センサーデータのノイズ除去、較正、同期などを行います。
- 特徴点抽出・記述: カメラ画像であれば、SIFT, SURF, ORBといった特徴点検出アルゴリズムを用いて、画像中の特徴的な点(コーナー、エッジなど)を検出します。これらの特徴点に対して、周囲のピクセル情報から特徴を記述するディスクリプタを生成します。LiDARデータであれば、点群からエッジや平面といった幾何学的な特徴を抽出します。
- データ関連付け (Data Association): 現在のセンサーデータから抽出された特徴点(あるいは他の特徴)が、過去のどの観測に対応するかを特定します。例えば、現在の画像で見つかった特徴点が、1つ前の画像で見つかったどの特徴点と同一の物理的な点であるかを、ディスクリプタの類似度や幾何学的拘束(エピポーラ幾何など)を用いてマッチングします。このステップでの誤った関連付け(外れ値)は、その後の推定に大きな悪影響を与えるため、外れ値除去手法(RANSACなど)が不可欠です。
- オドメトリ推定 (Odometry Estimation): 連続するセンサーデータ(例:隣接するカメラフレーム)の間で、ロボットの相対的な姿勢変化(移動と回転)を推定します。カメラ画像を用いる場合はVisual Odometry (VO)、LiDAR点群を用いる場合はLiDAR Odometry (LO) と呼ばれます。特徴点のマッチング情報や画像間の輝度情報などを用いて、剛体変換(回転行列と並進ベクトル)を求めます。このオドメトリ推定は、短時間では比較的正確ですが、時間経過とともに累積誤差(ドリフト)が発生します。
- 局所的な地図要素の生成: オドメトリ推定とデータ関連付けの結果を用いて、局所的な環境の構造(特徴点の3D位置など)を推定します。例えば、ステレオ画像や複数の単眼画像から三角測量を用いて特徴点の3D位置を求めます。
フロントエンドは、センサーの入力頻度に合わせて高速に処理を行う必要があります。リアルタイム性が求められる場合、このフロントエンドの処理速度が全体のボトルネックになることがあります。しかし、フロントエンドが得る情報は局所的で、誤差が累積しやすいという性質があります。この累積誤差を大域的に修正するのがバックエンドの役割です。
3. バックエンド (Backend)
バックエンドは、フロントエンドから送られてくる局所的な姿勢推定(オドメトリ)と、観測された環境情報(特徴点、平面など)を統合し、全体として最も整合性の取れたロボットの軌跡と環境地図を生成する役割を担います。フロントエンドが高速な局所処理であるのに対し、バックエンドはより計算コストの高い大域的な最適化を行います。
バックエンドの主なアプローチには、以下の2つがあります。
-
確率的フィルタベース (Filter-based SLAM):
- システムの状態(ロボットの姿勢と地図要素の集合)を確率分布で表現し、逐次的に更新していく手法です。
- カルマンフィルタ (Kalman Filter: KF): 線形システムにガウスノイズが加わる場合に最適推定を行います。
- 拡張カルマンフィルタ (Extended Kalman Filter: EKF): 非線形システムに対して、ヤコビ行列を用いて線形近似を行います。SLAMにおいては、ロボットの姿勢と全ての地図特徴点の位置を状態ベクトルとして持ち、オドメトリで予測し、観測(特徴点の再検出)で更新します。特徴点が増えるにつれて状態ベクトルの次元が爆発的に増大し、計算コストが地図サイズに対して二次的に増加するため、大規模環境には不向きです。
- アンセント付きカルマンフィルタ (Unscented Kalman Filter: UKF): 線形近似ではなく、少数のサンプル点(シグマポイント)を用いて非線形変換後の確率分布を近似します。EKFよりも高い精度が期待できますが、やはり状態ベクトルの次元の問題は残ります。
- パーティクルフィルタ (Particle Filter: PF): システムの状態を多数のサンプル(パーティクル)で表現します。非ガウスノイズや多峰性分布にも対応でき、ロバスト性が高いですが、高次元の状態空間では多くのパーティクルが必要となり、計算コストが非常に高くなります。FastSLAMはこのアプローチを用いて、ロボットの姿勢と地図の特徴点を独立して推定することで計算量を削減しようとしました。
- フィルタベースのアプローチは、新しい観測が入るたびに現在の状態を更新していくため、リアルタイム性には優れますが、過去の情報を遡って修正することが難しく、大域的な最適化が不十分になりがちです。特に長時間の移動によるドリフトの蓄積に対しては、ループクロージングによる大域的な補正が不可欠になります。
-
グラフベース (Graph-based SLAM):
- SLAM問題をグラフ構造で表現します。グラフのノードはロボットの過去の姿勢(キーフレーム)や地図上の特徴的な場所を表し、エッジはノード間の相対的な姿勢関係(オドメトリやループクロージングによって得られる制約)を表します。
- フロントエンドはノード間の相対姿勢(エッジ)を生成し、バックエンドはこれらのエッジによって定義される拘束条件を満たすように、全てのノードの姿勢を最適化します。これは、グラフ全体を最小化問題として解くことに相当します。例えば、エッジによる姿勢差と、実際にノード姿勢から計算される姿勢差との誤差を最小化するような姿勢を見つけます。
- この最適化は、非線形最小二乗法を用いて行われることが多く、大規模な疎行列に対するソルバー(g2o, Ceres Solverなど)が利用されます。
- グラフベースのアプローチは、ループクロージングによって得られた大域的な制約をグラフに加えることで、過去の軌跡や地図全体をまとめて補正できるのが最大の利点です。これにより、ドリフトを効果的に抑制し、大域的に整合性の取れた地図を構築できます。
- フィルタベースに比べて計算コストが高い傾向がありますが、計算効率の良いソルバーや技術の発展により、大規模なグラフでもリアルタイムに近い速度で最適化できるようになってきています。
バンドル調整 (Bundle Adjustment: BA): 視覚的SLAM (VSLAM) において、バックエンドでしばしば行われる重要な最適化手法です。これは、複数のカメラ姿勢、3次元空間中の特徴点、そしてどのカメラがどの特徴点を観測したか、という観測情報を同時に最適化する手法です。目的は、これらのパラメータを調整することで、観測された2次元画像上の特徴点位置と、推定された3次元点およびカメラ姿勢から計算される2次元投影位置との誤差(再投影誤差)の合計を最小化することです。BAは非常に計算コストが高いですが、VSLAMの精度を大幅に向上させることができます。グラフベースSLAMの最適化問題の一部として、BAが含まれることがあります。
4. ループクロージング (Loop Closing)
ループクロージングは、SLAMシステムにとって非常に重要な要素です。これは、ロボットが過去に訪れた場所に戻ってきたことを検出し、地図と軌跡の累積誤差(ドリフト)を修正するために行われます。
- 検出 (Detection): ロボットが新しい場所を訪れるたびに、現在の観測(例:カメラ画像や点群)が過去のどの場所の観測と類似しているかを調べます。画像ベースのSLAMでは、画像全体の特徴を記述するグローバルディスクリプタ(Bag-of-Wordsなど)を用いて、過去のキーフレーム画像との類似度を計算し、閾値を超えた場合に「ループ候補」として検出します。LiDARベースのSLAMでは、点群のマッチングや特徴ベースのマッチングが行われます。
- 検証 (Verification): 検出されたループ候補が本当に同じ場所であるかを厳密に検証します。単に観測が似ているだけでなく、それらの観測が互いにどのような幾何学的な姿勢差(相対変換)を持つべきかを計算し、その姿勢差が妥当であるかを確認します。例えば、対応する特徴点の集合が、ある剛体変換によって一貫して結びつけられるかなどをチェックします。この検証が不十分だと、誤ったループ(False Positive)を検出してしまい、地図全体が破壊される可能性があります。
- 補正 (Correction): ループが正しく検出・検証されたら、その情報(「現在の姿勢は過去のあの姿勢と一致する」という制約)をバックエンドの最適化問題に加えます。グラフベースSLAMであれば、対応するノード間に新しいエッジ(拘束)が追加されます。バックエンドはこの新しい制約を考慮して、グラフ全体の最適化を行います。これにより、ループ経路に沿って蓄積された誤差が一気に解消され、大域的に整合性の取れた地図と軌跡が生成されます。地図が「ぴたり」と閉じるイメージです。
ループクロージングは、長距離の移動や長時間のSLAM実行において、ドリフトを抑制し、高精度で大域的に一貫した地図を維持するために不可欠な機能です。
5. 地図構築 (Mapping)
SLAMの最終的な目的の一つは、環境の地図を構築することです。地図は、ロボットが環境を理解し、ナビゲーションや他のタスクを実行するために利用されます。地図の表現形式は、その用途や使用するセンサーによって様々です。
- 疎な地図 (Sparse Map): 環境中の特徴点(カメラ画像における顕著な点など)の3D位置のみを記録した地図です。主に自己位置推定(トラッキング)やループクロージングに使用されます。ORB-SLAMなどで使用されるマップポイントなどがこれにあたります。メモリ効率は良いですが、環境の全体像や形状を把握するには不十分です。
- 密な地図 (Dense Map): 環境の形状を詳細に表現した地図です。
- 点群 (Point Cloud): LiDARやRGB-Dカメラから得られる、無数の点の集合で環境を表現します。直感的で分かりやすい表現ですが、メモリ使用量が多く、穴が多い、表面が滑らかでないなどの課題があります。
- ボクセル地図 (Voxel Map): 3次元空間を小さな立方体(ボクセル)に分割し、各ボクセルが「占有されているか」「空であるか」「未知か」といった情報を持つ地図です。占有格子地図 (Occupancy Grid Map) の3次元版と言えます。密な表現が可能で、空間の占有状態を扱いやすいですが、解像度を上げるとメモリ使用量が爆発的に増加します。
- メッシュ地図 (Mesh Map): 環境の表面をポリゴン(通常は三角形)の集合で表現した地図です。テクスチャを貼ることで視覚的にも分かりやすく、3Dモデリングなどに適しています。
- 半密な地図 (Semi-dense Map): 密な地図ほどではないが、エッジや表面など、環境の重要な幾何学的特徴を詳細に表現した地図です。LSD-SLAMなどがこのアプローチをとります。
- 意味地図 (Semantic Map): 環境の幾何学的情報に加えて、物体や場所の意味的な情報(例:「これは椅子」「ここは壁」「ここはリビングルーム」)を含んだ地図です。セマンティックセグメンテーションなどのAI技術と組み合わせて構築されます。より高度なタスク(例:特定の物体を探す、人間と協調作業する)を行うロボットにとって有用です。
構築された地図は、ロボットのナビゲーション計画、障害物回避、ARアプリケーションにおける仮想オブジェクトの配置など、様々な目的で利用されます。
代表的なSLAMアルゴリズム
SLAMは歴史の中で様々なアルゴリズムが生み出されてきました。ここでは、いくつかの代表的なアルゴリズムとその特徴を紹介します。
フィルタベースSLAMの例
-
EKF-SLAM (Extended Kalman Filter SLAM):
- 歴史的に最も初期に提案された確率的フィルタベースのSLAMの一つです。
- ロボットの姿勢と、環境中の全てのランドマーク(特徴点)の位置を一つの大きな状態ベクトルとして持ち、カルマンフィルタ(拡張)を用いてこの状態を推定・更新します。
- ロボットが移動すると、予測ステップで状態の平均と共分散を更新します。
- ロボットがランドマークを観測すると、更新ステップで観測情報を用いて状態を修正します。
- 利点: 理論的に明確で、状態の不確実性(共分散)を管理できます。
- 欠点:
- 状態ベクトルの次元が地図中のランドマーク数に比例して増大するため、共分散行列の計算量が(状態次元)^2に比例し、大規模環境では計算負荷が非常に高くなります。
- 線形近似に基づいているため、強い非線形性を持つシステムでは精度が低下する可能性があります。
- データ関連付け(観測がどのランドマークに対応するか)の不確かさを直接扱うのが難しい。
-
FastSLAM (Particle Filter SLAM):
- パーティクルフィルタを用いてSLAMを実現するアルゴリズムです。EKF-SLAMの大規模化問題を解決しようとしました。
- ロボットの過去の軌跡をパーティクルで表現し、それぞれのパーティクルに対して独立したランドマークの地図(EKFで管理)を持ちます。
- ロボットの姿勢推定はパーティクルフィルタで行い、地図の更新はそれぞれのパーティクルにおける独立したEKFで行います。
- 利点: 非ガウスノイズやデータ関連付けの不確かさを扱いやすい。EKF-SLAMより大規模な環境に対応しやすい。
- 欠点: 高精度を得るためには多くのパーティクルが必要となり、計算負荷が高い。パーティクルの枯渇問題(少数のパーティクルに偏ってしまう)に対処する必要がある。
フィルタベースのアプローチは、新しい観測が来たときに即座に状態を更新できるため、リアルタイム性が重要なアプリケーションに適しています。しかし、過去の状態を修正するのが苦手という本質的な課題があります。
グラフベースSLAMの例
-
PTAM (Parallel Tracking and Mapping):
- 初期の代表的なキーフレームベースのVSLAMシステムです。
- トラッキング(自己位置推定)とマッピング(地図構築・最適化)を並列処理で行うことを提案しました。
- トラッキングスレッドは現在のカメラ姿勢をリアルタイムに推定し、マッピングスレッドはキーフレームを選定し、新しい3D特徴点を生成・管理し、バンドル調整(BA)によって地図を最適化します。
- 利点: リアルタイム性と地図の精度の両立を目指した先駆的なシステム。特にARアプリケーションで利用されました。
- 欠点: ループクロージング機能を持たないため、ドリフトが累積する。小規模な環境向け。
-
ORB-SLAM (ORB-SLAM1/2/3):
- 現在最も有名で広く利用されているVSLAMシステムの一つです。スペインのGrupo Salvat Persaが開発しました。
- 特徴点ベースのアプローチ(ORB特徴量を使用)をとり、単眼、ステレオ、RGB-Dカメラに対応しています(ORB-SLAM2以降)。
- 主要な3つのスレッド(トラッキング、ローカルマッピング、ループクロージング)と、それらを調整するスレッドで構成されます。
- トラッキング: 入力画像からORB特徴点を抽出し、前のフレームや既存の地図特徴点との対応を付けて、現在のカメラ姿勢を推定します。リアルタイム性が重視されます。
- ローカルマッピング: トラッキングで選ばれた「キーフレーム」とその周辺のキーフレーム、関連する地図特徴点を対象に、局所的なバンドル調整を行い、地図を緻密化します。新しい3D特徴点を生成したり、信頼性の低い特徴点を削除したりします。
- ループクロージング: 新しいキーフレームが追加されるたびに、過去のキーフレームとの間でループを検出・検証します。ループが確認されると、姿勢グラフに制約を加え、大域的な最適化を実行して地図全体を修正します。
- ORB-SLAM3では、Visual-Inertial SLAM (VI-SLAM) 機能や、マルチマップ機能(異なる環境で作成した地図を後で統合する)が追加されています。
- 利点: 高い精度とロバスト性。単眼、ステレオ、RGB-Dなど多様なセンサーに対応。トラッキング、マッピング、ループクロージング、リロケーション(一度失ったトラッキングを回復する機能)といった主要機能を高いレベルで統合している。オープンソースで利用しやすい。
- 欠点: テクスチャの少ない環境や動的な物体が多い環境には弱い傾向がある(特徴点ベースの宿命)。密な地図作成には不向き。
-
Cartographer (Google):
- 主にLiDARを用いた2D/3D SLAMシステムとして、Googleが開発しました。特に屋内外のロボットやマッピング用途で広く利用されています。
- グラフベースのアプローチをとり、特徴的なのは「サブマップ」の概念です。短時間で局所的なサブマップを作成し、そのサブマップ同士の間の関係をグラフとして構築・最適化します。
- ルックアップテーブルを用いた効率的なOccupancy Grid Mapの構築や、Ceres Solverを用いたグラフ最適化などが特徴です。
- 利点: 高精度な地図構築が可能。特に2D LiDAR SLAMにおいて優れた性能を発揮する。LiDAR主体のため、明るさの変化に強い。オープンソース。
- 欠点: 主にLiDARデータに依存するため、カメラのようなテクスチャ情報は利用しない。計算コストは比較的高め。
-
LSD-SLAM (Large-Scale Direct SLAM):
- 特徴点ではなく、画像全体の輝度情報(勾配)を直接用いて姿勢推定と半密な地図作成を行うDirect SLAMの代表例です。
- 単眼カメラに対応し、特徴点抽出・マッチングの処理が不要なため、テクスチャの少ない環境にも比較的強いとされます。
- 各ピクセルの奥行き情報と、その信頼度(分散)を推定することで、半密な3D地図を構築します。
- 利点: 特徴点ベースに比べテクスチャの少ない環境に強い。半密な地図が得られる。
- 欠点: 輝度情報に敏感なため、急激な明るさ変化やボケに弱い。計算コストが高い。
-
VI-SLAM (Visual-Inertial SLAM):
- カメラとIMUを組み合わせたSLAMです。IMUは高頻度で正確な短時間の動き(姿勢変化)情報を提供するため、カメラのトラッキングが不安定になりがちな高速移動時やテクスチャの少ない場所でのロバスト性を高めます。また、単眼カメラの場合にIMUの慣性情報からスケールを推定できる利点があります。
- 代表的なアルゴリズムにVINS-Mono/FusionやOKVISなどがあります。
- 大きく分けて、フィルタベース(融合フィルタ)と最適化ベース(グラフ最適化やバンドル調整に慣性拘束を加える)のアプローチがあります。
- 利点: ロバスト性、単眼の場合のスケール推定、ドリフト抑制に優れる。
- 欠点: IMUのキャリブレーションやデータ同期が重要。システムが複雑化する。
これらのアルゴリズムは、使用するセンサーや環境、求められる性能(精度、リアルタイム性、頑丈さ)によって使い分けられます。また、これらをベースに様々な改良や組み合わせが行われています。
最近のトレンドと発展
- セマンティックSLAM (Semantic SLAM):
- 単なる幾何学的な地図だけでなく、「これは椅子」「これはドア」といった環境中の物体や領域の意味的な情報を地図に組み込む研究です。深層学習を用いた物体検出やセマンティックセグメンテーション技術と連携します。これにより、ロボットは環境をより深く理解し、高度なタスクを実行できるようになります。
- ダイナミックSLAM (Dynamic SLAM):
- 人や車両など、動的な物体が多く存在する環境でのSLAMです。従来のSLAMは静的な環境を前提としているため、動的な物体を地図に含めてしまうと地図が歪んだり、誤った位置推定の原因になったりします。ダイナミックSLAMは、動的な物体を検出し、地図構築や位置推定から除外したり、逆に動的な物体の動きを追跡して地図に含めたりします。
- 学習ベースSLAM (Learning-based SLAM):
- 深層学習をSLAMの様々なモジュール(特徴抽出、データ関連付け、オドメトリ推定、ループ検出など)に応用する研究です。教師あり学習や教師なし学習を用いて、センサーデータの新しい表現を獲得したり、従来手法では難しかった問題を解決しようとしています。エンドツーエンドで姿勢や地図を推定する試みもあります。
- マルチセッションSLAM / 持続的マッピング (Persistent Mapping):
- 複数回の訪問を通じて地図を構築・更新する技術です。一度作成した地図を保存しておき、後で同じ場所を訪れた際に、その地図を使って自己位置を推定したり(リロケーション)、新しい観測情報で地図を更新・拡張したりします。時間経過による環境変化(工事、季節変化など)への対応が課題となります。
- クラウドSLAM / 分散SLAM:
- 複数のロボットやデバイスが連携して一つの大きな地図を作成・共有する技術です。各デバイスは局所的なSLAMを実行しつつ、クラウドなどを介して情報を共有し、大域的な地図を構築・維持します。広大なエリアの地図作成や、複数のデバイスが協調して作業する場面で重要になります。
SLAMにおける課題
SLAMは非常にパワフルな技術ですが、解決すべき多くの課題も抱えています。
- ドリフト (Drift):
- これはSLAMの最も根源的な課題の一つです。フロントエンドで行われる局所的な姿勢推定(オドメトリ)は、わずかな誤差を含みます。この誤差は時間経過や移動距離とともに累積し、ロボットの推定位置や地図が実際の位置から徐々にずれていきます。長距離を移動したり、長時間稼働したりすると、このドリフトは無視できないほど大きくなります。ループクロージングはこのドリフトを大域的に修正する有効な手段ですが、ループを検出できない環境や、ループ検出・検証に失敗した場合には、ドリフトがそのまま蓄積されてしまいます。
- 動的環境 (Dynamic Environments):
- 人通りが多い場所、車両が走行する道路、作業員がいる工場など、静的な環境を前提とした従来のSLAMは、動的な物体によって大きく性能が低下する可能性があります。動的な物体を静的な地図の一部として扱ってしまうと、地図が歪んだり、位置推定が不安定になったりします。動的な物体を効果的に認識・追跡し、地図構築から除外する、あるいはその動きをモデル化するといった技術が必要です。
- 特徴の少ない環境 (Feature-less Environments):
- 白い壁、長い廊下、広いガラス面など、テクスチャや特徴点に乏しい環境では、カメラベースのSLAM(VSLAM)は特徴点のマッチングに失敗し、トラッキングを失いやすいという課題があります。LiDARベースのSLAMも、非常に平坦な床面などでは特徴抽出が難しい場合があります。このような環境では、IMUとの組み合わせ(VI-SLAM)や、Direct SLAM、あるいはレーダーなど他のセンサーとのフュージョンが有効な場合があります。
- 急激な動き / センサーの変化:
- ロボットやカメラが急激に動くと、画像が大きくブレたり、特徴点が大きく移動したりして、正確な特徴点マッチングやオドメトリ推定が困難になることがあります。また、カメラの場合、急激な明るさの変化(逆光、照明のオンオフなど)によって画像の状態が変化し、トラッキングが不安定になることがあります。
- 計算資源とリアルタイム性:
- 高精度なSLAM、特に大規模な環境で詳細な地図を構築するSLAMは、非常に計算コストが高くなります。リアルタイムでSLAMを実行するためには、高性能なプロセッサやGPUが必要となる場合が多いです。モバイルデバイスや小型ロボットといった計算資源が限られたプラットフォームで、いかに高性能なSLAMを実現するかは常に課題です。
- 大規模環境への対応:
- 広いオフィスビル、街全体といった大規模な環境では、地図データの量が膨大になり、メモリの消費や計算コストが増大します。全ての地図情報を常にメモリに保持することは難しく、効率的な地図管理手法(地図の分割、必要な部分のみをロードするなど)や、計算量を抑えた最適化手法が必要となります。
- プライバシーとセキュリティ:
- SLAMによって作成される地図は、環境の構造や詳細な情報を含んでいます。特にカメラを用いたSLAMの場合、画像データ自体も環境や人物のプライベートな情報を多く含み得ます。これらの地図データやセンサーデータをどのように安全に管理し、プライバシーを保護するかは、SLAM技術の実社会への普及において重要な課題となります。
SLAMの応用例
SLAM技術は、その「自己位置推定と環境理解」という能力から、非常に幅広い分野で応用されています。
- ロボットナビゲーション:
- SLAMは、自律移動ロボットが未知の環境を移動し、目的地に到達するための基本的な技術です。工場や倉庫内の搬送ロボット(AGV/AMR)、配送ロボット、家庭用お掃除ロボットなどがSLAMを利用して自己位置を推定し、障害物を避けながら経路を計画・実行します。ドローンによる空撮マッピングや点検などでもSLAMが活用されます。
- 自動運転 / ADAS (先進運転支援システム):
- 車両の正確な自己位置推定は、自動運転やADASにとって不可欠です。GPS情報が不安定な場所(トンネル、高層ビルの谷間)や、より高精度な位置情報が必要な場面では、カメラやLiDAR、レーダー、IMUなどを組み合わせたSLAMが利用されます。リアルタイムで周辺環境の詳細な地図を作成し、他の車両や歩行者、障害物の位置を把握するためにもSLAM技術が応用されています。
- AR/VR (拡張現実/仮想現実):
- ARアプリケーションでは、現実空間に仮想オブジェクトを自然に重ね合わせるために、デバイス(スマートフォン、ARグラスなど)の現実空間における正確な位置と向き(トラッキング)が必要です。SLAMは、デバイスのカメラを使って周囲を認識し、自身の動きを追跡しつつ、現実空間の形状を把握(マッピング)することで、仮想オブジェクトを現実世界の特定の位置に固定したり、現実の壁やテーブルの裏に隠したりといったインタラクションを実現します。VRにおいても、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)やコントローラーの位置トラッキングにSLAM技術が使われています。
- 3Dモデリング / デジタルツイン:
- カメラやLiDARを用いて環境をスキャンしながらSLAMを実行することで、現実世界の高精度な3Dモデルを効率的に作成することができます。建築現場の進捗記録、インフラ設備の点検、屋内の詳細な測量、デジタルツインの構築などに活用されています。
- 産業分野:
- 工場や倉庫での自動化(ピッキングロボット、検査ロボットなど)において、複雑なレイアウトの中でロボットが正確に自己位置を把握し、効率的に作業を行うためにSLAMが導入されています。
- 測量 / マッピング:
- 人が立ち入れない危険な場所や、広範囲の地形を効率的に測量・マッピングするために、SLAM機能を搭載したロボットやドローンが使用されます。
このように、SLAM技術は私たちの身の回りの様々な場面で利用され始めており、今後の技術発展によってその応用範囲はさらに拡大していくでしょう。
まとめ
本記事では、「今さら聞けないSLAM」と題し、その基本的な概念から主要な構成要素、代表的なアルゴリズム、そして解決すべき課題と応用例について詳しく解説しました。
SLAMは、自己位置推定と環境地図作成を同時に行うことで、「鶏と卵」問題を克服し、未知の環境で自律的に振る舞うための基盤となる技術です。センサー(カメラ、LiDAR、IMUなど)からの入力を受け取り、フロントエンドで局所的な動きや特徴を抽出し、バックエンドでそれらを統合して大域的な最適化を行います。特に、ループクロージングは累積誤差(ドリフト)を修正し、大域的な整合性を保つために不可欠な要素です。構築される地図は、その用途に応じて疎なものから密なもの、意味情報を含むものまで様々です。
代表的なアルゴリズムとしては、歴史的なフィルタベース(EKF-SLAM, FastSLAM)や、現在主流のグラフベース(PTAM, ORB-SLAM, Cartographer)があり、センサーの種類や環境に応じて使い分けられています。近年では、VI-SLAMによるロバスト性の向上や、深層学習を活用した学習ベースSLAM、セマンティックSLAMなど、活発な研究開発が進んでいます。
しかし、動的な環境への対応、特徴の少ない場所でのロバスト性、計算リソースの制約、大規模環境へのスケーラビリティなど、解決すべき課題もまだ多く存在します。
それでも、SLAM技術はロボット、自動運転、AR/VRといった最先端分野において、その重要性を増す一方です。今後もSLAMは進化を続け、私たちの生活や社会に様々な形で貢献していくことでしょう。
本記事が、SLAMの理解を深める一助となれば幸いです。これを機に、さらに様々なアルゴリズムや最新の研究事例に触れてみるのも良いかもしれません。