医療機器向けJIS T 81001-5-1規格とは?要求事項を徹底解説
はじめに:高まる医療機器のサイバーセキュリティリスク
現代医療において、医療機器は診断、治療、患者モニタリングなど、あらゆる場面で不可欠な存在となっています。ペースメーカー、MRI装置、輸液ポンプ、手術用ロボット、遠隔医療システムなど、多様な医療機器が開発・活用されており、その多くがネットワークに接続されたり、ソフトウェアによって制御されたりしています。これらの技術革新は医療の質と効率を飛躍的に向上させる一方で、新たなリスクを生み出しています。それが「サイバーセキュリティリスク」です。
医療機器がサイバー攻撃の標的となると、単なる情報漏洩にとどまらず、機器の誤作動、機能停止、患者データの改ざん、さらには患者の安全そのものが脅かされる事態に発展する可能性があります。ランサムウェア攻撃によって病院全体のシステムが麻痺し、患者の受け入れや手術が困難になった事例は、世界中で報告されています。また、医療機器自体がサイバー攻撃の侵入口となり、病院ネットワーク全体が侵害される可能性も否定できません。
このような背景から、医療機器のサイバーセキュリティ確保は、患者の安全を守る上で喫緊の課題となっています。各国の規制当局は、医療機器メーカーに対して製品の安全性だけでなく、セキュリティに関する要求を強化しています。
日本においても、厚生労働省は医療機器のサイバーセキュリティ確保を重要視しており、関連ガイドラインや要求事項の整備を進めています。その中で、医療機器のライフサイクル全体におけるセキュリティリスクマネジメントに関する国際規格IEC 81001-5-1が、JIS T 81001-5-1として国内規格化されました。
この記事では、このJIS T 81001-5-1規格とは何か、なぜ重要なのか、そしてその具体的な要求事項について、医療機器メーカーが対応すべき点を中心に詳細に解説します。規格への対応は、単なる規制遵守にとどまらず、医療機器の信頼性を高め、患者の安全を確保するための重要な取り組みです。
JIS T 81001-5-1規格の概要
規格の位置づけと目的
JIS T 81001-5-1は、国際規格であるIEC 81001-5-1の日本語版であり、その内容はIEC版と同一です。正式名称は「医療機器・医用情報システム及び医用ヘルスケアITネットワーク − パート5-1:セキュリティ,アセット,データ及びシステムに関わるセキュリティ活動 − 一般要求事項」といいます。
この規格の主な目的は、医療機器、医用情報システム、およびそれらが接続される可能性のあるヘルスケアITネットワークに関連するセキュリティ活動に関する要求事項を定めることです。特に、医療機器メーカーに対して、製品の企画・設計から開発、製造、上市、保守、そして廃棄に至るまでの医療機器のライフサイクル全体を通じて、体系的かつ継続的にセキュリティリスクを管理することを求めています。
本規格は、単に技術的なセキュリティ対策のリストを示すものではありません。むしろ、医療機器の安全性(ファンクショナルセーフティ)と同様に、セキュリティを設計段階から組み込み(Security by Design)、開発プロセスの一部として管理するプロセス指向の規格です。
適用範囲
JIS T 81001-5-1は、以下の対象に適用されます。
- 医療機器: ソフトウェア単体を含む、あらゆる種類の医療機器。特に、ネットワーク接続機能を持つ機器や、ソフトウェアによって制御される機器は、サイバーセキュリティリスクの観点から本規格の要求事項が重要となります。
- 医用情報システム: 電子カルテシステム(EHR/EMR)、医用画像管理システム(PACS)、検査情報システム(LIS)など、医療機関内で患者情報や医療情報を扱うシステム。
- 医用ヘルスケアITネットワーク: 上記の医療機器や医用情報システムが接続される病院やクリニックのITネットワーク。
本規格の対象となるのは、主にこれらのシステムを開発・製造・保守する組織(医療機器メーカー、ソフトウェアベンダーなど)です。ただし、医療機関がこれらのシステムを導入・運用する上でも、本規格で示されるリスクマネジメントの考え方は参考になります。
適用範囲には、ネットワークに接続されないスタンドアロンの医療機器も含まれる可能性がありますが、その場合でも、機器内部のソフトウェアやデータの改ざんリスクなど、ローカルなセキュリティリスクが存在するため、本規格のリスクマネジメントプロセスを適用することが推奨されます。
主要な概念
JIS T 81001-5-1を理解する上で重要な概念がいくつかあります。
- セキュリティ(Security): 意図しない又は悪意のある行為によって引き起こされる、意図するパフォーマンス又は安全性(ベーシックセーフティ及び必須性能)の許容できないリスクを低減するための活動。つまり、サイバー攻撃や不正アクセスなどから機器やシステムを保護し、その機能や安全性を維持することを目指します。
- 安全性(Safety): 意図する用途における、受容できないリスクからの解放。医療機器においては、患者、ユーザー、その他の人々、または環境に対する危害のリスクを管理することを指します。本規格は、サイバーセキュリティリスクが医療機器の安全性に影響を与える可能性を考慮し、安全性とセキュリティを統合的に管理することの重要性を示唆しています。
- リスクマネジメント(Risk Management): リスクを特定し、評価し、管理し、監視するために、アプリケーションに関する知識と経験を体系的に適用するプロセス。本規格は、JIS T 14971(医療機器 − リスクマネジメントの医療機器への適用)のフレームワークをセキュリティリスクに拡張して適用することを基本としています。
- アセット(Asset): 組織にとって価値のあるもの。医療機器においては、機器本体、搭載ソフトウェア、患者データ、システム情報、ネットワーク接続性などが該当します。これらのアセットを保護することがセキュリティ活動の目的となります。
- 脅威(Threat): システムのセキュリティを侵害する可能性のある、意図しない又は悪意のある行為の原因となりうる潜在的な原因。マルウェア、不正アクセス、サービス妨害(DoS)攻撃、物理的改ざんなどが脅威として考えられます。
- 脆弱性(Vulnerability): アセット又はそのセキュリティ対策の弱点。ソフトウェアのバグ、設定の不備、設計上の欠陥、ユーザー教育の不足などが脆弱性となりえます。脅威が悪用できる脆弱性が存在する場合に、セキュリティリスクが顕在化します。
関連規格との関係
JIS T 81001-5-1は、単独で存在する規格ではなく、他の重要な医療機器関連規格や情報セキュリティ関連規格と密接に関連しています。
- JIS T 14971(医療機器 − リスクマネジメントの医療機器への適用): 医療機器のリスクマネジメントに関する基本的な規格です。JIS T 81001-5-1は、このJIS T 14971で定められたリスクマネジメントプロセス(リスク分析、リスク評価、リスクコントロール、市販後監視など)を、特にセキュリティリスクの管理に適用することを求めています。医療機器メーカーは、安全性リスクとセキュリティリスクを統合したリスクマネジメントシステムを構築することが理想的です。
- JIS T 24971(医療機器 − リスクマネジメントの医療機器への適用に関するガイダンス): JIS T 14971の適用に関する詳細なガイダンスを提供する規格です。セキュリティリスクマネジメントにおいても参考になります。
- ISO 27001(情報セキュリティマネジメントシステム): 組織全体の情報セキュリティマネジメントシステム(ISMS)に関する国際規格です。JIS T 81001-5-1は、ISO 27001で確立されたISMSの枠組みを活用し、医療機器に特化したセキュリティ活動を組み込むことを推奨しています。組織レベルのISMSと製品レベルのセキュリティ活動を連携させることが重要です。
- IEC 62304(医療機器ソフトウェア − ソフトウェアライフサイクルプロセス): 医療機器ソフトウェアの開発におけるライフサイクルプロセスに関する規格です。JIS T 81001-5-1のセキュリティ要求事項は、このIEC 62304のソフトウェア開発プロセスの中に組み込まれるべき活動を含んでいます。例えば、ソフトウェアの設計段階でのセキュリティ要求の組み込みや、検証活動におけるセキュリティテストなどが該当します。
これらの関連規格との連携を理解することは、JIS T 81001-5-1の要求事項を効果的に満たす上で不可欠です。
JIS T 81001-5-1の主要な要求事項の解説
JIS T 81001-5-1の要求事項は、医療機器のライフサイクル全体を通じて実施すべきセキュリティ活動を定めています。規格の本体は大きく分けて「4. 一般的な考慮事項」と「5. 活動」の2つの章で構成されています。以下に、それぞれの章の主要な要求事項を詳細に解説します。
第4項:一般的な考慮事項
この章では、セキュリティ活動を実施する上での基本的な考え方と前提条件が定められています。
- リスクベースのアプローチ: 本規格の活動は、すべてリスクマネジメントに基づいています。潜在的なセキュリティリスクを特定し、その受容可能性を評価し、リスクを許容可能なレベルまで低減するための対策を講じるという、体系的なアプローチが求められます。JIS T 14971で確立されたリスクマネジメントプロセス(リスク分析、リスク評価、リスクコントロール、市販後生産及び市販後情報)が、セキュリティリスクにも適用されるべきです。
- 情報セキュリティマネジメントシステム(ISMS)との関連: 組織は、情報セキュリティマネジメントシステム(ISMS)を確立し、文書化し、実施し、維持し、継続的に改善することが推奨されています。ISO 27001のような確立されたISMSの枠組みを適用することで、組織全体のセキュリティポスチャを高め、医療機器のセキュリティ活動を効果的に推進できます。
- 組織の役割と責任: セキュリティ活動に関わるすべての役割と責任が明確に定義され、割り当てられる必要があります。これには、経営層のコミットメント、セキュリティ責任者の設置、開発チーム、品質保証部門、保守担当者などの役割分担が含まれます。セキュリティ活動は特定の部門だけでなく、組織横断的に推進されるべきです。
- 能力、認識及びトレーニング: セキュリティ活動に関わる人員は、適切な能力を有している必要があります。これには、情報セキュリティに関する知識、リスクマネジメントの手法、関連する規制や規格に関する理解などが含まれます。組織は、従業員に対して適切なトレーニングを提供し、セキュリティに関する認識を高める必要があります。
- 文書化の要求: セキュリティ活動に関連するすべてのプロセス、手順、記録は文書化され、管理される必要があります。これには、セキュリティポリシー、リスク分析報告書、セキュリティ要求仕様、設計文書、テスト記録、インシデント対応計画、市販後監視データなどが含まれます。文書化は、活動の透明性を確保し、トレーサビリティを可能にし、継続的な改善の基盤となります。文書管理は、QMS省令(医療機器及び体外診断用医薬品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令)の要求事項とも整合させる必要があります。
- セキュリティライフサイクル: セキュリティ活動は、医療機器の単なる開発・製造段階だけでなく、企画、設計、開発、製造、上市、導入、運用、保守、廃棄といったライフサイクル全体にわたって継続的に実施される必要があります。特に、市販後の監視と対応は、新たな脅威や脆弱性が発見された場合に迅速に対応するために極めて重要です。
第5項:活動
この章では、医療機器のセキュリティライフサイクルの中で実施すべき具体的なセキュリティ活動が、以下の7つのセクションに分けて詳細に定められています。
5.1 企画および定義(Planning and definition)
セキュリティ活動を開始する前の段階であり、活動の範囲と計画を定義します。
- セキュリティ活動の計画: 医療機器の開発・製造プロセスの中で、どのようなセキュリティ活動を、いつ、誰が実施するのかを具体的に計画します。この計画は、プロジェクト全体の計画やリスクマネジメント計画と統合されるべきです。計画には、必要なリソース(人員、予算、ツールなど)の確保についても含まれる必要があります。
- 意図する用途および意図する環境の定義: 開発する医療機器が、どのような目的で、どのような環境(病院の病室、手術室、自宅、診療所など)で、どのようなユーザー(医師、看護師、患者、臨床工学技士など)によって使用されるのかを明確に定義します。使用環境によって、想定される脅威や脆弱性が大きく異なるため、この定義は後続のセキュリティリスク分析の基盤となります。例えば、自宅で使用される機器は、病院内ネットワークよりも物理的な保護が弱く、一般家庭のネットワークに接続されるため、異なるセキュリティ要件が求められます。
- セキュリティ関連の定義:
- セキュリティ要求事項の定義: 意図する用途と環境、関連する規制、およびリスク分析の結果に基づいて、医療機器が満たすべき具体的なセキュリティ要求事項を定義します。これには、認証(Authentication)、認可(Authorization)、機密性(Confidentiality)、完全性(Integrity)、可用性(Availability)、トレーサビリティ(Auditability)などに関する要求が含まれます。例えば、「ユーザーはパスワードによる認証を経て機器にアクセスできる」「患者データは暗号化されて保存される」「ネットワーク通信はTLSを用いて暗号化される」といった具体的な要求として定義します。
- 脅威および脆弱性の特定方法の定義: セキュリティリスク分析に使用する脅威モデルや脆弱性特定手法を定義します。既知の脅威データベース(例:MITRE ATT&CK)、過去のインシデント事例、セキュリティ専門家によるブレインストーミングなどを活用できます。脆弱性特定には、設計レビュー、コードレビュー、脆弱性スキャンなどの手法が考えられます。
- セキュリティリスクの評価方法の定義: 特定された脅威と脆弱性の組み合わせが、機器の安全性や機能に与える影響(可能性と重大度)をどのように評価するのか、評価基準を定義します。JIS T 14971のリスク評価手法(ハザード、予見可能な事象の順序、ハザード状況、危害の可能性、危害の重大度)をセキュリティリスクに適用する際の具体的な基準を定めます。例えば、特定のセキュリティ侵害が発生した場合に、患者の死亡、重篤な傷害、軽微な傷害、データ損失、機能停止などのレベル分けを行います。
5.2 分析(Analysis)
定義された情報に基づいて、具体的なセキュリティリスクを特定し、評価します。この活動は、医療機器の開発ライフサイクルを通じて繰り返し実施されるべきです。
- アセットの特定: 医療機器およびその関連システムにおける、保護すべき価値のあるアセットを特定します。これには、ハードウェア、ソフトウェア、ファームウェア、構成情報、患者データ、ログデータ、暗号鍵などが含まれます。アセットリストを作成し、それぞれの重要度を評価します。
- 脅威の特定: 特定されたアセットに対して考えられる潜在的な脅威を特定します。5.1で定義した脅威特定手法に基づいて、マルウェア感染、不正アクセス、データ改ざん、サービス妨害、物理的盗難/改ざん、なりすまし、情報漏洩など、様々な種類の脅威を洗い出します。意図する用途や環境を考慮し、現実的な脅威を特定することが重要です。脅威モデリング(例:STRIDEモデル)などの体系的な手法が有効です。
- 脆弱性の特定: 特定されたアセットおよび機器全体に存在する可能性のある脆弱性を特定します。これには、既知のソフトウェアの脆弱性(例:CVE)、設計上の欠陥、実装ミス、設定の不備、不適切なアクセス制御、不十分なログ記録などが含まれます。設計レビュー、コードレビュー、脆弱性スキャンツール、ペネトレーションテストなどの手法を用いて脆弱性を洗い出します。
- セキュリティリスクの特定と評価: 特定された脅威が特定された脆弱性を悪用することによって、機器の安全性や機能にどのような影響(セキュリティインシデント)が発生しうるかを特定します。そして、そのセキュリティインシデントが発生する可能性と、発生した場合の危害(安全性への影響、データ損失、機能停止など)の重大度を評価し、セキュリティリスクを評価します。5.1で定義したリスク評価基準に基づいて、リスクレベル(例:受容不可能、受容可能だが低減必要、受容可能)を決定します。評価結果は、セキュリティリスク分析報告書として文書化されます。JIS T 14971と同様に、リスクを受容可能にするためのリスク低減の必要性を判断します。
5.3 対策(Treatment)
評価されたセキュリティリスクが受容不可能なレベルである場合、または低減が推奨されるレベルである場合に、リスクを低減するためのセキュリティ対策を選択し、決定し、実施します。
- リスク対応(セキュリティ対策の選択と決定): 評価されたセキュリティリスクに対して、適切な対策オプションを選択し、決定します。対策オプションとしては、リスクの回避、リスクの低減(セキュリティ対策の実施)、リスクの移転(保険など)、リスクの受容などがあります。医療機器においては、多くの場合、リスク低減のためのセキュリティ対策の実施が選択されます。対策を選択する際には、リスク低減効果だけでなく、実現可能性、コスト、機器の機能性、ユーザビリティなども考慮する必要があります。選択された対策は、セキュリティ対策計画として文書化されます。対策には、技術的な対策(認証機構、暗号化、アクセス制御、ファイアウォール、ログ記録、ソフトウェアアップデート機構など)、組織的な対策(セキュリティポリシー、手順、従業員教育、物理的セキュリティなど)、物理的な対策が含まれます。
- セキュリティ対策の実施: 選択されたセキュリティ対策を、医療機器の設計、開発、製造プロセスの中で具体的に実装します。これは、ソフトウェア開発における安全なコーディング規約の遵守、ハードウェア設計におけるセキュリティ機能の組み込み、製造ラインにおける構成管理とアクセス制御など、多岐にわたります。
- セキュリティ対策の検証: 実施したセキュリティ対策が、意図した通りに機能しているか、そして期待されるリスク低減効果が得られているかを検証します。これには、単体テスト、結合テスト、システムテスト、セキュリティテスト(脆弱性スキャン、ペネトレーションテスト、ファジングなど)が含まれます。検証結果は記録され、対策が有効であることが確認される必要があります。
5.4 検証(Verification)
開発された医療機器全体が、定義されたセキュリティ要求事項を満たしていること、および設計されたセキュリティ対策が有効であることを検証します。これは、単なる個別の対策の検証だけでなく、システム全体としてのセキュリティを確認する活動です。
- 設計検証: 機器の設計がセキュリティ要求事項を満たしていることを確認します。セキュリティ設計レビュー、コードレビュー、アーキテクチャレビューなどが含まれます。設計段階でのセキュリティ上の欠陥を発見し、後工程での手戻りを防ぐことを目的とします。
- 最終検証: 完成した医療機器が、出荷前にすべてのセキュリティ要求事項を満たしていることを最終的に確認します。これには、セキュリティテスト計画に基づいた網羅的なテストの実施が含まれます。ペネトレーションテストや総合的な脆弱性評価など、専門的なセキュリティテスト手法が用いられることが一般的です。検証結果は記録され、製品のリリース判断の根拠となります。
5.5 セキュリティ情報交換のための公開された記述の作成(Creation of published statements for security information exchange)
医療機器メーカーは、製品のセキュリティに関する情報をユーザー(医療機関など)に提供する必要があります。これにより、ユーザーは機器を安全に導入、構成、運用、保守することができます。
- セキュリティに関する情報提供の要件: 医療機器のセキュリティ特性、導入・設定におけるセキュリティに関する考慮事項、必要なネットワーク構成、推奨されるセキュリティ対策(例:ファイアウォール設定、パッチ適用ポリシー)、既知のセキュリティ脆弱性とその緩和策、連絡先情報などを文書化し、ユーザーに提供します。
- 具体的には、MDS^2 (Manufacturer Disclosure Statement for Medical Device Security)のような標準的なフォーマットを活用することが推奨されています。MDS^2は、医療機器のセキュリティに関する情報を体系的に提供するための質問票形式の文書です。
- 提供される情報は、医療機関がリスクアセスメントを実施し、自身のIT環境に機器を安全に統合するために不可欠です。
5.6 セキュリティ上の問題に関する活動(Activities concerning security problems)
市販後の医療機器においてセキュリティ上の問題(セキュリティ脆弱性、インシデントなど)が発見された場合の対応に関する要求事項です。これは、市販後安全管理プロセスの一部として組み込まれるべき活動です。
- インシデント対応計画: セキュリティインシデントが発生した場合に、迅速かつ効果的に対応するための計画(インシデントレスポンスプラン)を事前に策定しておく必要があります。計画には、インシデントの検出、分析、封じ込め、根絶、復旧、事後評価などの手順が含まれます。
- インシデント監視および分析: 市販後の医療機器に関するセキュリティ上の問題を継続的に監視し、収集した情報を分析します。これには、ユーザーからの報告、セキュリティ研究者からの情報、公開されている脆弱性情報、機器からのログ収集などが含まれます。
- 是正措置および予防措置: 特定されたセキュリティ上の問題に対して、是正措置(既に発生した問題を修正するための措置)および予防措置(同様の問題の再発を防ぐための措置)を講じます。これには、ソフトウェアアップデート(パッチ)、設定変更手順の提供、注意喚起、設計変更などが含まれます。講じられた措置の有効性も確認する必要があります。これらの活動は、QMS省令における是正措置及び予防措置(CAPA)プロセスとも連携させる必要があります。
5.7 セキュリティ関連情報交換のための記述の更新(Updating of statements for security information exchange)
5.5で作成したセキュリティ関連情報(MDS^2など)は、製品のライフサイクルやセキュリティ上の状況変化に合わせて、必要に応じて更新される必要があります。
- セキュリティ情報の維持管理: 機器の機能変更、新しいセキュリティ脆弱性の発見、推奨される対策の更新などがあった場合に、ユーザーに提供済みのセキュリティ情報をレビューし、必要に応じて改訂します。改訂された情報は、適切なチャネルを通じてユーザーに周知される必要があります。
JIS T 81001-5-1導入のメリット
JIS T 81001-5-1の要求事項に対応することは、医療機器メーカーにとって単なる規制遵守以上のメリットをもたらします。
- セキュリティレベルの向上: 規格に沿った体系的なプロセスを導入することで、製品の企画・設計段階からセキュリティを考慮できるようになり、製品全体のセキュリティレベルが向上します。
- リスク低減: セキュリティリスクを早期に特定し、効果的な対策を講じることで、サイバー攻撃による患者への危害、データ損失、機器停止などのリスクを低減できます。
- 規制要求への対応: 本規格への対応は、日本の薬機法に基づく承認審査やQMS調査におけるサイバーセキュリティに関する要求への対応を円滑に進める上で有効です。世界の主要規制当局(米国FDA、EU MDRなど)も同様のセキュリティ要求を強めており、国際市場への展開にも有利となります。
- 市場競争力の強化: セキュリティに配慮した製品は、医療機関や患者からの信頼を得やすくなり、競争優位性を確立できます。セキュリティは製品選択の重要な要素になりつつあります。
- 患者およびユーザーからの信頼獲得: セキュリティ対策をしっかりと行うことは、患者のプライバシー保護や安全確保に対する製造販売業者の責任を示すことになり、医療機関や最終的なユーザーからの信頼獲得に繋がります。
- 効率的なインシデント対応: 事前にインシデント対応計画を策定しておくことで、万が一セキュリティインシデントが発生した場合にも、混乱なく迅速かつ効果的に対応できます。
規格対応のステップと考慮事項
JIS T 81001-5-1への対応を進めるには、組織全体で計画的かつ体系的に取り組む必要があります。以下に一般的なステップと考慮事項を示します。
- 規格の理解と現状評価: まず、JIS T 81001-5-1の要求事項を組織内で十分に理解します。現在の開発・製造プロセス、品質マネジメントシステム、リスクマネジメントプロセスにおけるセキュリティ関連の取り組みを評価し、規格要求事項とのギャップを洗い出します。
- ギャップ分析に基づく計画策定: ギャップ分析の結果に基づき、規格要求を満たすために必要な活動(プロセスの改訂、手順書の作成、必要なツールの導入、人材育成など)を具体的に計画します。経営層の承認とコミットメントを得ることが重要です。
- リスクマネジメントプロセスの構築/強化: JIS T 14971に基づく既存のリスクマネジメントプロセスに、セキュリティリスクの特定、評価、管理の要素を統合します。セキュリティリスク分析の方法論(脅威モデリング、脆弱性評価など)を確立し、手順書を作成します。
- セキュリティ要求仕様の定義と設計への組み込み: 製品の企画・設計段階から、セキュリティ要求事項を明確に定義し、設計に組み込みます(Security by Design)。安全な設計原則、アーキテクチャ、技術要素を選択します。
- セキュリティ対策の実施と検証: 開発・製造プロセスにおいて、定義されたセキュリティ対策を実装し、徹底的な検証(テスト)を実施します。セキュリティテスト計画を作成し、様々な手法(脆弱性スキャン、ペネトレーションテストなど)を用いて製品のセキュリティを評価します。
- 文書化と記録管理: 規格要求事項に従い、すべてのセキュリティ関連活動(リスク分析結果、セキュリティ要求仕様、設計文書、テスト記録、インシデント対応記録など)を文書化し、適切に管理します。文書管理システム(DMS)の活用などが有効です。
- 従業員教育: セキュリティ活動に関わるすべての従業員に対して、役割に応じた適切なセキュリティ教育を実施します。セキュリティに対する意識向上と、必要な知識・スキルの習得を促進します。
- サプライヤー管理: 製品に使用される市販ソフトウェア(OSS含む)やコンポーネント、または開発・製造委託先についても、セキュリティに関するリスク評価と管理を行います。サプライヤーとの契約において、セキュリティに関する要求事項を明確にすることが重要です。
- 市販後監視と対応体制の構築: 市販後の医療機器に関するセキュリティ上の問題(脆弱性、インシデント)を継続的に監視し、対応するためのプロセスと体制を構築します。インシデントレスポンスプランの策定、ユーザーからの情報収集チャネルの整備、セキュリティ情報の提供・更新手順などを確立します。
- 継続的な改善: セキュリティ活動は一度行えば終わりではありません。新たな脅威や脆弱性は常に出現するため、継続的な監視、評価、プロセスの改善が不可欠です。市販後情報や内部監査の結果に基づき、セキュリティマネジメントシステムを継続的に改善していきます。
考慮事項:
- 経営層の関与: セキュリティは単なる技術的な問題ではなく、経営課題です。経営層が積極的に関与し、必要なリソースを確保することが成功の鍵となります。
- 部門横断的な連携: 開発、製造、品質保証、規制対応、保守サービスなど、関係するすべての部門が連携して取り組む必要があります。
- 専門知識の必要性: サイバーセキュリティに関する高度な専門知識が必要です。社内での人材育成、または外部のセキュリティ専門家やコンサルタントの活用を検討する必要があります。
- コストとリソース: 規格対応には、プロセス変更、ツール導入、人材育成などに一定のコストとリソースが必要となります。計画段階でしっかりと見積もり、確保することが重要です。
- 変化への対応: サイバーセキュリティの脅威や技術は絶えず変化します。規格対応後も、継続的に最新の情報を収集し、自社の対策をアップデートしていく必要があります。
日本の規制環境との関連
JIS T 81001-5-1は、日本の医療機器規制(薬機法)の中でどのように位置づけられるのでしょうか。
- 薬機法とQMS省令: 薬機法では、医療機器の製造販売業者に対して、製造管理および品質管理に関する基準(QMS省令)を遵守することを義務付けています。QMS省令は、品質マネジメントシステム(QMS)の構築と維持を求めており、リスクマネジメント、設計管理、製造管理、市販後安全管理などが要求事項に含まれています。
- JIS T 81001-5-1は、このQMS省令の中で要求されるリスクマネジメント、設計開発、市販後安全管理といった活動を、特に「セキュリティ」の観点から具体化し、補完する位置づけにあります。
- QMS省令に基づくリスクマネジメントは、主にファンクショナルセーフティに関わるリスクを対象としてきましたが、サイバーセキュリティリスクも医療機器の安全性に影響を与えるため、QMS省令のリスクマネジメントプロセスの中で統合的に管理される必要があります。JIS T 81001-5-1は、そのための具体的な手法と要求事項を提供します。
- また、QMS省令における設計管理では、設計入力(要求事項)、設計出力、設計レビュー、設計検証、設計バリデーション、設計変更などが要求されています。JIS T 81001-5-1のセキュリティ要求事項(5.1)は設計入力の一部となり、セキュリティ対策の設計(5.3)、設計検証(5.4)、最終検証(5.4)は設計開発プロセスの活動として実施されます。
- 市販後安全管理においては、市販後の不具合情報の収集・評価、必要な措置の実施が求められています。JIS T 81001-5-1の5.6および5.7で要求されるセキュリティ上の問題に関する活動(インシデント対応、市販後監視、情報提供の更新)は、QMS省令の市販後安全管理活動と直接的に連携します。
- 厚生労働省のガイドライン: 厚生労働省は、医療機器のサイバーセキュリティに関する各種ガイドラインを発行しています。これらのガイドラインは、薬機法に基づく承認審査やQMS調査における具体的な判断基準や考え方を示すものです。JIS T 81001-5-1は、これらのガイドラインが参照する主要な技術標準の一つとして位置づけられています。規格への適合は、これらのガイドラインの要求事項を満たす上で有効な手段となります。
- 承認審査とQMS調査: 医療機器の製造販売承認申請においては、添付資料としてリスクマネジメント報告書やソフトウェアの検証記録などが提出されますが、これらの文書の中で、セキュリティに関するリスク分析結果や対策、検証状況が適切に記述されていることが求められます。また、QMS調査においても、JIS T 81001-5-1に準拠したセキュリティマネジメントプロセスが適切に構築・運用されているかが確認される可能性があります。
このように、JIS T 81001-5-1への対応は、既存の薬機法に基づく品質マネジメントシステムの中にセキュリティの観点を組み込み、強化することと密接に関連しています。規格対応を進める際は、単に新しいプロセスを追加するだけでなく、既存のQMSとの整合性を図り、統合されたシステムとして運用することが効率的であり、規制対応上も有利となります。
課題と将来展望
JIS T 81001-5-1への対応を進める上では、いくつかの課題も存在します。
- 規格解釈の難しさ: 本規格はプロセス要求が中心であり、具体的な技術対策の詳細は限定的です。また、医療機器の多様性ゆえに、すべての機器に一律に適用できる明確な「正解」が存在するわけではありません。各医療機器の特性、意図する用途、使用環境に応じたリスク評価と対策の選択には、高度な専門知識と判断が必要です。
- リソースの確保(人材、コスト): セキュリティ専門知識を持つ人材の不足は、医療機器業界に限らず一般的な課題です。規格対応のためには、セキュリティに精通した人材の確保や育成、外部専門家の活用が必要となり、一定のコストが発生します。特に中小企業にとっては、リソース確保が大きな課題となる可能性があります。
- 変化し続ける脅威への対応: サイバーセキュリティの脅威は常に進化しています。新たな攻撃手法や未知の脆弱性が発見されるたびに、市販後の製品に対する評価と対応が求められます。これに対応するためには、継続的な脅威インテリジェンスの収集と分析、迅速なアップデート提供体制の構築が必要です。
- 相互運用性とセキュリティ: 医療機器は、病院のネットワークや他の医療情報システムと連携して使用されることが増えています。相互運用性を確保しつつ、接続されるシステム全体のセキュリティを維持することは複雑な課題です。規格は情報交換(5.5, 5.7)を求めていますが、システム連携におけるセキュリティ責任の分担なども考慮する必要があります。
- クラウド、AI、IoTなどの新技術への対応: 医療分野でもクラウドサービス、人工知能(AI)、医療用IoTデバイスなどの新しい技術の活用が進んでいます。これらの技術は新たなセキュリティリスクをもたらすため、規格の要求事項をこれらの新しい環境にどのように適用するか、継続的に検討していく必要があります。規格自体も、将来的な改訂でこれらの新しい技術に関する考慮事項が追加される可能性があります。
これらの課題に対し、医療機器メーカーは、内部体制の強化、外部パートナーとの連携、業界全体での情報共有とベストプラクティスの確立、規制当局との対話などを通じて取り組んでいく必要があります。
将来的に、医療機器のサイバーセキュリティはますます重要性を増していくと考えられます。JIS T 81001-5-1のような規格は、医療機器業界におけるセキュリティ成熟度を高め、安全で信頼性の高い医療技術の提供を支える基盤となるでしょう。単なる要求事項の遵守にとどまらず、セキュリティを製品の重要な差別化要素と捉え、継続的に改善していく姿勢が求められます。
まとめ:患者の安全と信頼のための継続的な取り組み
JIS T 81001-5-1は、医療機器のライフサイクル全体にわたるセキュリティリスクマネジメント活動に関する包括的な要求事項を定めた規格です。現代のコネクテッドな医療機器においては、サイバーセキュリティリスクが患者の安全に直接的な影響を与える可能性があるため、本規格への対応は喫緊の課題であり、医療機器メーカーの重要な責任となっています。
本規格は、単に技術的なセキュリティ対策を示すものではなく、JIS T 14971に基づくリスクマネジメントプロセスを核として、企画・定義、分析、対策、検証、情報提供、市販後対応といった一連の活動を体系的に実施することを求めています。また、ISO 27001のような情報セキュリティマネジメントシステムや、IEC 62304のようなソフトウェア開発ライフサイクルプロセスとの連携も重要です。
JIS T 81001-5-1への対応は、製品のセキュリティレベル向上、リスク低減、規制要求への対応、市場競争力の強化、そして何よりも患者およびユーザーからの信頼獲得に繋がります。
規格対応を進めるにあたっては、経営層のコミットメントのもと、部門横断的な体制を構築し、セキュリティ専門知識を持つ人材を育成または活用し、計画的かつ体系的に取り組むことが重要です。また、文書化と記録管理を徹底し、市販後も継続的な監視と迅速な対応ができる体制を整備する必要があります。
サイバーセキュリティを取り巻く環境は常に変化しています。医療機器メーカーは、一度規格に対応したからといって終わりではなく、常に最新の脅威や技術動向を把握し、自社のセキュリティ対策とプロセスを継続的に見直し、改善していく必要があります。
患者が安心して医療を受けられる環境を維持するためには、医療機器の安全性とセキュリティの両面からの継続的な取り組みが不可欠です。JIS T 81001-5-1は、そのための強固なフレームワークを提供するものであり、医療機器メーカーにとって、製品の品質と信頼性を保証するための重要な羅針盤となるでしょう。この規格を指針として、医療機器のサイバーセキュリティ確保に向けた取り組みを着実に進めていくことが、今後の医療技術の発展と患者の安全を守る上で極めて重要となります。