心電図のQT間隔を徹底解説:基礎知識から臨床的意義、注意点まで
はじめに
心電図は、非侵襲的に心臓の電気的活動を記録する非常に重要な検査です。私たちの心臓は、規則的な電気信号の発生と伝導によって収縮と拡張を繰り返し、全身に血液を送り出しています。心電図はこの電気信号を体表面から捉え、波形として記録することで、心臓のリズムや興奮伝導の状態、心筋の状態などを評価することができます。
心電図波形は、P波、QRS波、T波といった特徴的な波形や、それらの間の時間(間隔)や部分から構成されています。それぞれの波形や間隔は、心臓の特定の部位の電気的活動やその持続時間に対応しています。例えば、P波は心房の興奮、QRS波は心室の興奮、T波は心室の興奮からの回復(再分極)をそれぞれ示します。
これらの様々な要素の中で、「QT間隔」は心臓、特に心室の電気的な活動の持続時間を示す非常に重要な指標です。QT間隔は、心室が興奮を開始してから、その興奮が完全に終了し次の興奮を受け入れられる状態に戻るまでの時間を反映しています。このQT間隔が基準値よりも長すぎたり短すぎたりすると、致死的な不整脈である心室頻拍や心室細動を引き起こすリスクが高まることが知られています。
本記事では、このQT間隔に焦点を当て、その基礎知識から、正確な測定方法、なぜ重要なのかという臨床的意義、さらにQT間隔の異常が関わる代表的な疾患であるQT延長症候群やQT短縮症候群、そして臨床現場での注意点に至るまで、網羅的に解説します。心電図検査の結果を理解するためだけでなく、薬剤による副作用のリスク評価や、遺伝性心疾患の可能性を探る上でも、QT間隔の知識は不可欠です。この記事を通じて、QT間隔に関する深い理解を得ていただければ幸いです。
1. 心電図の基本とQT間隔
1.1 心電図とは
心電図(Electrocardiogram: ECG or EKG)は、心臓の拍動に伴って生じる微弱な電気信号を体表面に貼った電極で検出し、記録したものです。この電気信号は、心臓内の特殊な細胞(刺激伝導系)で発生し、心房から心室へと規則的に伝わっていきます。心電図はこの電気信号の「波」をグラフとして表現したもので、心臓の電気的な活動のリズムやパターンを視覚的に把握することができます。
1.2 標準12誘導心電図について
一般的に臨床現場で用いられるのは「標準12誘導心電図」です。これは、体の異なる部位に10個の電極を装着し、心臓から見た電気信号の方向を12種類の「誘導」として記録するものです。これらの誘導(肢誘導 I, II, III, aVR, aVL, aVF と胸部誘導 V1-V6)は、心臓を様々な方向から「覗き込む」カメラのようなものであり、心臓の電気的活動を立体的に把握するのに役立ちます。QT間隔も、通常これらの12誘導の中から、最も長く明瞭に測定できる誘導(しばしばII誘導やV5誘導など)を選択して評価します。
1.3 心電図波形の各成分
標準的な1つの心周期(心臓が一回拍動する間の電気的活動)は、いくつかの特徴的な波形とそれらの間の時間(間隔・部分)から構成されます。
- P波 (P wave): 心房の興奮(脱分極)を示します。洞結節で発生した電気信号が心房全体に広がる様子を表します。
- QRS波 (QRS complex): 心室の興奮(脱分極)を示します。心室の筋肉全体に電気信号が伝わり、収縮が始まる様子を表します。Q波、R波、S波の三つの波形の複合体です。
- Q波: QRS波の最初の陰性波(下向きの波)。
- R波: QRS波の最初の陽性波(上向きの波)。
- S波: R波の後の陰性波。
- T波 (T wave): 心室の興奮からの回復(再分極)を示します。興奮した心室の筋肉が元の電気的状態に戻る様子を表します。
- U波 (U wave): T波に続いて見られる小さな波。その起源は完全には解明されていませんが、心室筋の遅い再分極やプルキンエ線維の再分極など諸説あります。正常心電図では見られないことも多いですが、低カリウム血症などで目立つことがあります。
1.4 各種間隔・時間の解説
波形と波形の間の時間や波形自体の幅も重要です。
- PR間隔 (PR interval): P波の始まりからQRS波の始まりまでの時間。洞結節で発生した信号が心房を伝わり、房室結節を経てヒス束に到達するまでの時間を反映し、房室伝導能を示します。
- QRS幅 (QRS duration): QRS波の始まりから終わりまでの時間。心室内の電気信号の伝導速度を反映します。
- ST部分 (ST segment): QRS波の終わりからT波の始まりまでの平坦な部分。心室全体が完全に脱分極した状態(電気的に活動していない状態)であり、心筋の虚血などで変化が見られます。
- QT間隔 (QT interval): QRS波の始まりからT波の終わりまでの時間。本記事のテーマです。
1.5 QT間隔の定義と解剖学・生理学的な対応
QT間隔は、QRS波の始まりからT波の終わりまでの時間と定義されます。心電図上では、通常、最初の心室興奮(QRS波)の開始点から、心室の再分極(T波)が終了する点までの水平方向の時間として測定されます。
生理学的には、QT間隔は心室の電気的収縮期に相当します。つまり、心室筋細胞が興奮して収縮の準備が始まり(脱分極)、その後再び元の弛緩可能な状態に戻る(再分極)までの一連の電気的活動の持続時間を表しています。個々の心室筋細胞のレベルでは、「活動電位持続時間(Action Potential Duration: APD)」にほぼ対応します。
なぜこの時間が重要なのでしょうか? 心室の電気的活動が完全に終了し、次の興奮を受け入れられる状態に戻る(再分極が完了する)前に新たな興奮が発生してしまうと、心室内に電気的な渦が発生しやすくなります。これは、一部の心室筋は興奮可能になっているが、他の部分はまだ不応期にあるという状態になり、この状態が不安定なリエントリー回路を形成し、致死的な不整脈(心室頻拍や心室細動)を誘発するリスクを高めるからです。QT間隔は、この心室の電気的な回復時間、すなわち次の興奮に対する心室の準備状態を知るための重要な指標なのです。
2. QT間隔の測定方法
QT間隔の測定は、シンプルに見えて実はいくつかの注意点が必要です。正確な測定が、その後の評価や診断の出発点となるため、重要なポイントを理解しておく必要があります。
2.1 手動測定
古くから行われている方法で、心電図用紙上でキャリパー(二点規)や定規を用いて直接測定します。
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測定手順:
- 心電図用紙の横軸(時間軸)の目盛りを確認します。通常、小さいマス目が40ms (0.04秒)、大きいマス目が200ms (0.2秒) を示します。
- 測定したい心周期を選びます。通常は、最も明瞭でQT間隔が長く見える誘導(例: II誘導、V5誘導)を選びます。複数の誘導で測定し、最長のQT間隔を採用することもあります。
- QRS波の始まり(Q波の開始点、Q波がない場合はR波の開始点)にキャリパーの一方の端を合わせます。
- T波の終わり(基線に戻る点)にもう一方の端を合わせます。
- キャリパーを開いた距離を時間軸の目盛りに従って読み取ります。
- 複数の心周期で測定し、平均値を求めることも推奨されます。
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問題点:
- 主観性: QRS波やT波の始まり・終わりの判断が観察者によって異なる可能性があります。特に、波形が不明瞭であったり、ノッチ(切れ込み)があったり、U波と重なったりしている場合に困難が生じます。
- 手間と時間: 多くの心周期を測定したり、複数の誘導を評価したりするには時間がかかります。
- 心拍変動: 心拍数が一定でない場合、測定する心周期によってQT間隔が変動します。
2.2 自動測定
近年の心電計には、QT間隔を含む様々な測定値を自動で算出する機能が搭載されています。これは、事前にプログラムされたアルゴリズムに基づいて波形の開始点や終了点を自動で認識して測定するものです。
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利点:
- 迅速: 瞬時に測定値が得られます。
- 客観性: アルゴリズムに従うため、測定者によるばらつきが少ないです。
- 大量のデータ処理: 24時間心電図など、長時間の記録の解析に有用です。
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限界:
- アルゴリズムの精度: 波形が非定型的である場合(例: 二相性T波、大きなU波、不整脈)、自動測定は誤る可能性があります。
- 測定点の確認: 自動測定値はあくまで参考値であり、特に異常値や境界値を示す場合は、必ず手動で測定点を視覚的に確認し、妥当性を判断する必要があります。
- 誘導の選択: 自動測定は通常、全ての誘導で測定値を表示しますが、どの誘導のQT間隔が最も正確かつ代表的かは、自動では判断しきれない場合があります。
2.3 測定上の注意点
正確なQT間隔の測定は、適切な評価のために極めて重要です。以下の点に注意が必要です。
- QRS波の始まり: Q波が存在する場合はその開始点、Q波がない場合はR波またはS波の最初の偏位点(基線からの立ち上がり)とします。
- T波の終わり: T波の頂点ではなく、基線に戻る点です。T波の終わりが不明瞭な場合は、T波の頂点から基線まで引いた接線が基線と交わる点とする方法(接線法)も用いられますが、日常臨床ではT波の終わりを基線に戻る点と判断するのが一般的です。
- T波の形状:
- 二相性T波: 正の部分と負の部分を持つT波です。この場合、通常、両方の部分を含んだT波全体の終わりを終点とします。
- ノッチ(切れ込み)のあるT波: T波の途中に小さな切れ込みがある場合でも、T波全体が基線に戻る点を終点とします。
- 平坦なT波: 終わりが不明瞭な場合は測定が困難です。
- U波との判別: T波に続いてU波が見られる場合、T波の終わりとU波の始まりが重なっているように見えることがあります。正確にT波の終わりを特定することが重要ですが、困難な場合はU波の頂点とT波の頂点を結んだ線が基線と交わる点とするなど、いくつかの判断基準がありますが、客観性は低下します。通常はT波とU波が完全に分離している場合に限り、T波の終わりを終点とします。
- 誘導の選択: 通常、II誘導やV5誘導が最も長く明瞭なQT間隔を示すことが多いですが、どの誘導で測るのが最適かは個人差や病態によって異なります。いくつかの誘導で測定し、最長のQT間隔を採用することが推奨されています。標準12誘導のうち、明瞭な波形を示すリードII、V5、V6などがよく用いられます。
- 心拍数への依存性: 最も重要な注意点です。QT間隔は心拍数によって変動します。心拍数が速い(RR間隔が短い)とQT間隔は短縮し、心拍数が遅い(RR間隔が長い)とQT間隔は延長します。したがって、測定したQT間隔の値を評価する際には、必ず心拍数による影響を補正する必要があります。これについては次項で詳しく解説します。
3. なぜQT間隔は心拍数に依存するのか?(生理学的メカニズム)
QT間隔が心拍数に依存するという事実は、QT間隔を評価する上で最も重要な概念です。この現象を理解するためには、心臓の電気的活動と心拍数の関係を少し掘り下げる必要があります。
3.1 心拍数と心周期の関係
心拍数(Heart Rate: HR)は、1分間あたりの心臓の拍動回数です。心拍数と心周期(一つの拍動にかかる時間)の間には逆の関係があります。心周期は、心電図上ではRR間隔(一つのR波の頂点から次のR波の頂点までの時間)で表されます。
- 心拍数が速い → RR間隔が短い → 心周期が短い
- 心拍数が遅い → RR間隔が長い → 心周期が長い
心周期の長さは、心臓が次の収縮の準備をするために利用できる時間を示しています。
3.2 活動電位持続時間(APD)と心拍数
前述したように、QT間隔は心室筋細胞の電気的活動の持続時間、すなわち活動電位持続時間(Action Potential Duration: APD)にほぼ対応します。心室筋細胞の活動電位は、主に以下のイオンチャネルの活動によって制御されています。
- 脱分極: ナトリウムイオン(Na+)チャネルが開いて細胞内に流入し、細胞内が正の電位になります。
- プラトー相: カルシウムイオン(Ca2+)チャネルが開いて細胞内に流入し、カリウムイオン(K+)チャネルからの流出とバランスを取り、電位が維持されます。このプラトー相が心室筋の収縮(興奮-収縮連関)を可能にします。
- 再分極: カルシウムチャネルが閉じ、カリウムチャネルが開いて細胞外に流出することで、細胞内が再び負の電位に戻ります。
心拍数が速くなり心周期が短くなると、個々の心室筋細胞はより短い時間間隔で刺激を受けることになります。この時、再分極に関わるイオンチャネル、特にカリウムチャネルの一部が、次の刺激が来る前に完全にリセットされない状態になります。これにより、次に発生する活動電位の再分極相が早めに完了する傾向があります。つまり、心拍数が速いほど、活動電位持続時間(APD)は短縮するという生理現象があります。
3.3 QT間隔が心拍数によって変動する理由
QT間隔は心室の電気的活動の持続時間(APDにほぼ対応)であるため、APDが心拍数に依存して変動するのと同様に、QT間隔も心拍数に依存して変動します。
- 心拍数増加 (RR間隔短縮): 心室の電気的活動(脱分極から再分極まで)にかかる時間も短縮する傾向があります。心電図上、QT間隔が短くなります。
- 心拍数減少 (RR間隔延長): 心室の電気的活動にかかる時間が延長する傾向があります。心電図上、QT間隔が長くなります。
したがって、ある心拍数で測定されたQT間隔の絶対値だけでは、それが本当に異常に長い(または短い)のか、それとも単に心拍数が遅い(または速い)ために見かけ上そう見えているだけなのかを判断することはできません。例えば、徐脈(心拍数が遅い状態)では、生理的にQT間隔は延長します。これは多くの場合正常な生理的反応であり、病的なQT延長とは区別する必要があります。
この心拍数によるQT間隔の変動を補正し、あたかも心拍数が一定(例えば毎分60拍)であったらQT間隔はどれくらいになるかを推定する概念が生まれました。これが次に説明する「補正QT間隔 (Corrected QT: QTc)」です。
4. 補正QT間隔 (QTc) とは?
4.1 なぜ補正が必要なのか
QT間隔は心拍数によって大きく変動するため、絶対値で評価すると心拍数による影響を排除できません。例えば、心拍数50拍/分でQT間隔が420msだったとしても、これは徐脈に伴う生理的な延長の可能性があります。逆に、心拍数100拍/分でQT間隔が420msであれば、これは頻脈にも関わらず長い値であり、病的なQT延長を示唆するかもしれません。
心拍数に依存しない、真の心室再分極時間を評価するために、QT間隔を特定の心拍数(通常は60拍/分)における値に「補正」します。このように補正されたQT間隔を補正QT間隔 (Corrected QT interval: QTc) と呼びます。QTcを用いることで、心拍数の異なる心電図間や、同一人物の心拍数が変動している状況でも、QT間隔の相対的な長さを比較し、病的意義を評価することが可能になります。
4.2 代表的な補正式
QT間隔とRR間隔(心拍数)の関係は、多くの研究者によって解析され、いくつかの補正式が提案されています。最もよく知られている代表的な式をいくつか挙げます。
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Bazettの式 (Bazett’s formula):
QTc = QT / √RR
(ここで、QTは測定されたQT間隔、RRは測定されたRR間隔であり、いずれも秒単位で計算します。心拍数 (HR) [拍/分] = 60 / RR [秒] の関係があります。)- 特徴: 最も古くから知られ、最も広く使われている補正式です。計算が比較的容易です。
- 問題点: 心拍数が速いとき (頻脈) にQTcを過大評価し、心拍数が遅いとき (徐脈) にQTcを過小評価する傾向があります。特に、極端な頻脈や徐脈では精度が低下します。
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Fredericiaの式 (Fredericia’s formula):
QTc = QT / RR^0.333 (すなわち、QT / ∛RR)
(QT, RRは秒単位)- 特徴: Bazettの式よりも心拍数の影響を受けにくいとされます。
- 問題点: Bazettの式ほど広く普及していません。
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Framinghamの式 (Framingham formula):
QTc = QT + 0.154 * (1 – RR)
(QT, RRは秒単位)- 特徴: Framingham Heart Studyという大規模疫学研究で開発された式で、比較的広い心拍数範囲で安定しているとされます。
- 問題点: 計算がBazettの式よりやや複雑です。
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Hodgesの式 (Hodges’ formula):
QTc = QT + 1.75 * (Heart Rate – 60)
(QTはミリ秒単位 [ms], Heart Rateは拍/分単位 [bpm])- 特徴: RR間隔ではなく、心拍数から直接補正する式です。比較的広い心拍数範囲で有用とされます。
- 問題点: Bazettの式ほど一般的ではありません。
4.3 各補正式の利点と欠点、使用上の注意点
どの補正式を使うべきかについては、確立された統一見解はありません。しかし、臨床現場では慣習的にBazettの式が最も多く使われています。ただし、その限界(特に頻脈・徐脈での誤差)を理解しておくことが重要です。
- 選択のガイドライン:
- 心拍数が比較的一定で、正常範囲内 (50-90拍/分程度) であれば、Bazettの式でも大きな問題はないことが多いです。
- 頻脈 (>90-100拍/分) や徐脈 (<50拍/分) の場合は、Bazett以外の式(Fredericia, Framingham, Hodgesなど)の方がより正確な場合があるとされます。ただし、これらの式も完璧ではありません。
- 同一の患者さんを継続的に評価する場合や、研究を行う場合は、一貫して同じ補正式を用いるべきです。
- 多くの自動測定機能は、Bazettの式で計算したQTcを表示しますが、必要に応じて手動で他の式で計算することも可能です。
重要な注意点:
* 補正式はあくまで「推定」であり、真のQTcを完璧に表すものではありません。
* 極端な頻脈や徐脈、あるいは不整脈(心房細動などRR間隔が不規則な場合)では、どの補正式も正確なQTcを算出することが困難になります。不整脈がある場合は、複数の心周期の平均RR間隔を用いる、あるいは平均的な心拍数から補正するといった対応が必要になりますが、それでも解釈は慎重に行う必要があります。
* QTcの絶対値だけでなく、QT間隔を測定した際の心拍数やRR間隔を常に記録しておくことが重要です。
4.4 正常値の基準(男女差、年齢差)
QTcの正常値には、性別や年齢による差があることが知られています。
- 男女差: 一般的に、女性は男性よりもQTcがわずかに長い傾向があります。これは、性ホルモンの影響などが関与していると考えられています。
- 男性: 一般的な正常上限値は約 440 ms です。
- 女性: 一般的な正常上限値は約 460 ms です。
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年齢差: 小児ではQTcが比較的短く、成人になるにつれて延長する傾向があります。高齢者では正常範囲内であっても、若年者と比べてわずかに長い傾向が見られることがあります。
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QT延長の定義:
- 一般的に、男性で QTc > 450-460 ms、女性で QTc > 460-470 ms をQT延長とみなします。
- QTc > 500 ms は、致死的な不整脈(トルサード・ド・ポワント TdP)のリスクが著しく高まる「高度なQT延長」と考えられ、特に注意が必要です。
- QT短縮の定義:
- 一般的に、QTc < 340 ms をQT短縮とみなします。
これらの正常値や異常値の基準は、学術団体やガイドラインによって微妙に異なる場合がありますが、上記の値が広く参照されています。ただし、個々の患者さんの評価においては、これらの基準値を絶対的なものとして捉えるのではなく、臨床的な状況や他の心電図所見、既往歴などを総合的に考慮して判断することが重要です。特に境界域の値については、経過観察や精密検査が必要になることがあります。
5. QT延長症候群(LQTS)
QT間隔延長は、心室の再分極が遅れている状態を示唆し、生命を脅かす不整脈であるトルサード・ド・ポワント (Torsades de Pointes: TdP) を引き起こすリスクを高めます。QT間隔延長が病的な意義を持つ代表的な病態が、QT延長症候群 (Long QT Syndrome: LQTS) です。LQTSは、遺伝子の異常による先天性のものと、薬剤や電解質異常などによる後天性のものに大別されます。
5.1 先天性LQTS
先天性LQTSは、心筋のイオンチャネルをコードする遺伝子の変異によって引き起こされる遺伝性疾患です。これにより心室筋の活動電位持続時間(APD)が延長し、心電図上QT間隔が延長します。
- 遺伝子変異(イオンチャネル異常): これまでに17種類以上のLQTS関連遺伝子(LQT1からLQT17など)が同定されています。最も頻度が高いのは、再分極に関わるカリウムチャネル(特にIksとIkr)や脱分極に関わるナトリウムチャネルの機能異常を引き起こす遺伝子変異です。
- LQT1 (KCNQ1遺伝子): 遅延整流カリウム電流 (Iks) の機能低下。運動中や興奮時のアドレナリン放出でQT延長が顕著になりやすく、水泳中に失神しやすい特徴があります。T波は幅広いのが特徴です。
- LQT2 (KCNH2遺伝子): 急速整流カリウム電流 (Ikr) の機能低下。驚きや聴覚刺激(目覚まし時計、電話の音など)で誘発されやすく、睡眠中や安静時にもイベントが発生します。T波にはノッチ(切れ込み)が見られることが多いです。
- LQT3 (SCN5A遺伝子): 電位依存性ナトリウムチャネル (INa) の不活性化遅延(機能亢進)。安静時や睡眠中の徐脈時にQT延長が顕著になりやすい特徴があります。T波の始まりから終わりまでが遅れる傾向があります。
- 病態生理(活動電位持続時間の延長、早期後脱分極 EAD): イオンチャネルの機能異常により心室筋細胞の再分極が遅延し、APDが延長します。APDの延長は、活動電位のプラトー相の終盤や再分極相において、膜電位が基線に戻る前に再び脱分極する現象を引き起こしやすくなります。これを早期後脱分極 (Early Afterdepolarization: EAD) と呼びます。EADは、基線から逸脱した小さな電気的活動として心電図上に見られることがあり、これがトリガー(引き金)となって、不安定な心室頻拍であるトルサード・ド・ポワント (TdP) を誘発すると考えられています。
- 特徴的な心電図所見: QTcの延長が最も重要な所見です。その他、T波の形態異常(幅広、ノッチ、二相性、低平化)、特定の誘導でのQT延長の顕著化など、遺伝子型によって特徴的な所見が見られることがあります。安静時の心電図ではQT延長が明らかでなくても、運動負荷やホルター心電図で心拍変動に伴うQT延長の異常が見られることもあります。
- 症状: 主な症状は、心室頻拍や心室細動によるものです。
- 失神: 最もよく見られる症状で、多くは運動や情動的ストレス(LQT1)、驚き(LQT2)、睡眠中(LQT3)などに誘発されます。TdPが自己停止した場合に失神として現れます。
- 心停止・突然死: TdPが心室細動に移行し、心拍が停止した場合に起こります。蘇生されなければ突然死に至ります。
- 痙攣として現れることもありますが、これは脳血流低下による二次的なものです。
- 無症状の場合もありますが、遺伝子変異があれば潜在的なリスクを抱えていることになります。
- 診断基準(Schwartzスコアなど): 臨床的な診断は、心電図所見(QTc値、T波形態)、臨床症状(失神、TdP既往)、家族歴などを組み合わせて行われます。Schwartzスコアは、これらの要素を点数化してLQTSの可能性を評価するのに用いられる代表的な診断基準です。最終的な確定診断には、原因遺伝子の特定(遺伝子検査)が重要です。
5.2 後天性LQTS
後天性LQTSは、薬剤や電解質異常など、遺伝性以外の原因によって心室の再分極が遅延し、QT間隔が延長する病態です。先天性LQTSよりも頻度が高く、多くの患者さんでQT延長はこの後天性の原因によるものです。
- 原因となる薬剤: 後天性LQTSの最も一般的な原因は薬剤です。多くの種類の薬剤が、再分極に関わる特定のイオンチャネル(特にIkr)を阻害することでQT間隔を延長させるリスクを持っています。QT延長リスクのある薬剤は非常に多く、全ての薬剤をここにリストアップすることは困難ですが、代表的な例を挙げます。
- 抗不整脈薬: クラスIA(キニジン、プロカインアミド、ジソピラミド)、クラスICの一部(フレカイニド、プロパフェノン:比較的少ないが報告あり)、クラスIII(アミオダロン、ソタロール、ドフェチリド、イブチリド)。これらはIkr阻害作用を持つものが多く、QT延長リスクが高いです。
- 抗精神病薬/向精神薬: ハロペリドール、チオリダジン、ピモジド、クエチアピン、ゾテピン、オランザピン、SSRIの一部(シタロプラム、エスシタロプラム)、三環系抗うつ薬など。
- 抗菌薬: マクロライド系(エリスロマイシン、クラリスロマイシン、アジスロマイシン)、フルオロキノロン系(レボフロキサシン、シプロフロキサシン、モキシフロキサシンなど)、アゾール系抗真菌薬(イトラコナゾール、フルコナゾール、ボリコナゾール)。
- 抗ヒスタミン薬: 第二世代の一部(テルフェナジン、アステミゾールなど – 現在はQT延長リスクのため使用が制限されているものが多い)、第一世代の一部(ジフェンヒドラミン、ヒドロキシジンなど)。
- 消化器系薬剤: シサプリド(現在は使用制限)、ドンペリドン。
- 抗がん剤: 一部(アルセニクトリオキシド、スニチニブ、ソラフェニブなど)。
- その他: メサドン(鎮痛薬・薬物依存治療薬)、マラリア治療薬(クロロキン、ヒドロキシクロロキン)、血管収縮薬、免疫抑制薬など。
- QT延長リスクのある薬剤については、FDA (米国食品医薬品局) が公開している「CredibleMeds®」のようなデータベースで最新の情報やリスク分類を確認することが推奨されています。
- 電解質異常:
- 低カリウム血症 (Hypokalemia): 再分極に関わるカリウムチャネルの機能が低下し、QT間隔を延長させます。T波の平坦化やU波の出現も特徴的です。
- 低マグネシウム血症 (Hypomagnesemia): カリウムチャネルの機能に影響を与え、QT間隔延長やTdPのリスクを高めます。低カリウム血症と合併しやすいです。
- 低カルシウム血症 (Hypocalcemia): 活動電位のプラトー相の終盤に関与し、QT間隔を延長させます。
- 徐脈: 心拍数が著しく遅い状態(高度徐脈)は、相対的にQT間隔を延長させ、後天性LQTSの原因となり得ます。特に、先天性LQTSのLQT3型では、徐脈時にQT延長が顕著になる傾向があります。
- その他の疾患:
- 甲状腺機能低下症(特に重度の場合)
- 頭蓋内疾患(くも膜下出血、脳出血、脳梗塞など):自律神経系の異常を介してQT延長を引き起こすことがあります。
- 心筋虚血:特に急性期にT波の変化やQT延長が見られることがあります。
- 心筋炎、心筋症、心不全など。
- 低体温症:体温が低いと心臓の電気的活動が遅延し、QT間隔が著しく延長します(Osborn波を伴うこともあります)。
- 病態生理: 後天性LQTSも、最終的には心室筋の活動電位持続時間の延長と、それによるEADの発生リスク増加が根底にあります。薬剤によるイオンチャネル阻害、電解質異常によるイオンチャネル機能不全などがその原因となります。
- 臨床像: 先天性LQTSと同様に、失神や心停止(TdPによる)が主たる症状です。薬剤性LQTSでは、原因薬剤の投与開始後数日から数週間でイベントが発生することが多いですが、電解質異常が加わったり、他のQT延長薬と併用されたりすることでリスクが増大します。
5.3 QT延長によるリスク:トルサード・ド・ポワント (Torsades de Pointes: TdP)
QT延長の最も恐れられる合併症が、トルサード・ド・ポワント (TdP) です。「Torsades de Pointes」はフランス語で「点のねじれ」を意味し、心電図波形が基線を軸にねじれるように見える多形性心室頻拍の一種です。
- TdPとは何か(多形性心室頻拍): QRS波の形態が心拍ごとに大きく変化し、基線を軸にねじれるように見える特徴的な心室頻拍です。心拍数は非常に速く(150-300拍/分)、心室からの電気的興奮が規則性を失っている状態です。
- TdPの発生メカニズム: 主に、QT延長によって心室筋の再分極が不均一になり、その結果発生する早期後脱分極 (EAD) がトリガー(引き金)となって発生すると考えられています。EADによって生じた異常な興奮が、心室内の再分極のばらつき(興奮性の回復が遅れている部分と回復している部分が存在する状態)を利用してリエントリー回路を形成し、持続的な頻拍を引き起こします。
- TdPから心室細動(VF)への移行リスク: TdPは多くの場合、自然停止するか、持続する場合でも血行動態が不安定になり失神を引き起こします。しかし、さらに重症化すると、心室内の電気的活動が無秩序な細動状態(心室細動 VF)に移行することがあります。心室細動は有効なポンプ機能が失われた状態で、速やかに電気的除細動を行わなければ数分で死に至る、最も危険な不整脈です。
- TdPの心電図所見: QRS波の振幅や方向が周期的に変化し、まるで波形が基線を中心にねじれているように見えます。頻拍に先行して、典型的なQT延長と、しばしばRR間隔の延長(徐脈傾向)が見られます(特に後天性LQTSやLQT3)。
- TdPを誘発しやすい条件:
- 高度なQT延長: QTcが500msを超える場合など、延長の程度が強いほどリスクが高まります。
- 徐脈: 心拍数が遅いと、特に後天性LQTSやLQT3型ではQT延長が顕著になりやすく、EADが発生しやすくなります。不規則なRR間隔、特に長いRR間隔の後に短いRR間隔が続くパターン(Long-Short Sequence)はTdPの誘発因子となり得ます。
- 電解質異常: 低カリウム血症、低マグネシウム血症はTdPの強いリスク因子です。
- 複数のQT延長薬の併用: リスクのある薬剤を複数同時に使用することで、QT延長の程度が増強され、リスクが著しく高まります。
- QT延長薬の血中濃度上昇: 腎機能・肝機能障害による薬剤の排泄遅延や、CYP酵素阻害薬との併用による薬物代謝の阻害などが原因となります。
- 先天性LQTS: 特にLQT2型やLQT3型はTdPリスクが高いとされます。
- 女性、高齢者、心疾患(心不全、心筋肥大、心筋虚血など)の既往がある患者さんもリスクが高い傾向があります。
5.4 QT延長症候群の治療
QT延長症候群の治療は、原因(先天性か後天性か)、症状の有無、QT延長の程度、TdPのリスクなどを考慮して個別に行われます。
- 生活指導(誘因の回避):
- 先天性LQTSの場合、それぞれの遺伝子型に応じた誘因(運動、驚き、徐脈など)を回避するための指導を行います。
- 後天性LQTSの場合、原因薬剤の中止や変更、電解質異常の補正が最も重要です。リスクのある薬剤のリストを確認し、可能な限り代替薬への変更や減量、中止を検討します。
- 薬物療法:
- β遮断薬: 先天性LQTS(特にLQT1, LQT2型)において、交感神経の過活動を抑制し、QT延長やイベント発生を抑制する第一選択薬です。プロプラノロールやナドロールなどが主に用いられます。
- メキシレチン: LQT3型など、ナトリウムチャネル機能亢進が原因の場合に有効なことがあります。
- カリウム補充: 低カリウム血症がある場合は、カリウムを補充します。
- マグネシウム静注: TdPが発生した場合や、TdPの予防に有効です。
- 植込み型除細動器 (ICD): 心停止蘇生後や、失神発作を繰り返すなど、致死的不整脈のリスクが高い患者さんに対する最も有効な治療法です。ICDは、心室細動や速い心室頻拍を感知すると、電気ショックを与えて正常なリズムに戻します。
- ペースメーカー: 徐脈がQT延長やTdPの誘因となっている場合に、心拍数を維持するために植込みを検討することがあります(特にLQT3型)。
- 左心臓交感神経除神経術: 薬物療法が無効な場合や、ICDを植え込めない場合などに検討される外科的治療法です。交感神経の心臓への影響を軽減します。
- 遺伝子検査、家族スクリーニング: 先天性LQTSと診断された場合、患者さんだけでなく、家族の遺伝子検査や心電図スクリーニングを行うことが重要です。無症状のキャリアを発見し、イベント予防のための適切な管理を行うことで、突然死を予防できます。
6. QT短縮症候群(SQTS)
QT延長症候群とは対照的に、QT間隔が異常に短縮している病態が、QT短縮症候群 (Short QT Syndrome: SQTS) です。SQTSは比較的最近認識されるようになった疾患であり、LQTSに比べると頻度は低いですが、やはり致死的な不整脈である心室細動のリスクが高いことが知られています。
- 原因(イオンチャネル異常): SQTSも、主にイオンチャネルをコードする遺伝子変異によって引き起こされる遺伝性疾患です。多くの場合、再分極に関わるカリウムチャネル(特にItoやIks)の機能亢進や、脱分極に関わるカルシウムチャネルの機能低下が原因となります。これにより心室筋の再分極が異常に速く完了し、APDが短縮します。
- 病態生理(活動電位持続時間の短縮、早期再分極、リエントリー): イオンチャネルの機能異常により心室筋細胞の再分極が異常に速く完了し、APDが著しく短縮します。これにより、心室筋細胞全体での興奮性の回復のばらつき(不応期の短縮とばらつき)が大きくなり、リエントリー回路が形成されやすくなります。リエントリーは、興奮が一度通過した場所を再び興奮させる現象で、これが心室頻拍や心室細動の原因となります。また、心拍が短すぎると、心室が次の興奮を受け入れる準備ができていないにも関わらず心房からの興奮が伝わってしまう(R on T現象のような状態)ことも、不整脈の誘発につながると考えられています。
- 特徴的な心電図所見:
- 著しいQTc短縮: 一般的に QTc < 340 ms を診断基準としますが、中には300ms以下の例も見られます。
- 尖った高いT波: T波が狭く、基線からピークまでの時間が短い、尖った形状を示すことが多いです。
- ST部分の欠如または非常に短いST部分: QRS波の終わりからT波の始まりまでのST部分がほとんど見られないか、非常に短いのが特徴的です。QRS波とT波が連続しているように見えることもあります。
- 心房細動: SQTS患者さんでは、心房細動の合併が多いことも特徴の一つです。
- 症状:
- 心停止・突然死: 最も重要な臨床像であり、乳幼児期から壮年期にかけて起こり得ます。多くの患者さんは、心停止やそれに伴う蘇生処置によって診断されます。
- 失神: 心室頻拍/細動が自己停止した場合に起こります。
- 動悸: 心房細動や非持続性心室頻拍による症状として現れることがあります。
- 無症状で、家族スクリーニングや健康診断の心電図で偶然発見されることもあります。
- 診断基準: QTcの値(特に340ms以下)、心電図上の特徴的なT波やST部分の所見、臨床症状(心停止、失神)、家族歴、そして遺伝子検査の結果を総合して診断されます。
- 治療: SQTSと診断された患者さんは、致死的不整脈のリスクが高いと考えられ、症状の有無にかかわらず植込み型除細動器 (ICD) が第一選択の治療となります。薬剤としては、カリウムチャネルをブロックするキニジンなどが、QTcを延長させ、不整脈イベントを抑制する効果が報告されています。他の抗不整脈薬やβ遮断薬の効果は限定的とされることが多いです。
7. QT間隔に影響を与えるその他の因子・病態
QT間隔は、LQTSやSQTSといった特定の症候群以外にも、様々な要因によって変動する可能性があります。これらの因子を知っておくことは、心電図の解釈において重要です。
- 心筋虚血: 特に心筋梗塞の急性期などでは、T波の異常(陰性T波など)を伴ってQT間隔が延長することがあります。再灌流療法などで血流が改善すると、QT延長も改善することが多いです。
- 脳血管障害: 特に、くも膜下出血 (SAH) や脳出血、脳梗塞などの急性期には、自律神経系の影響を介してQT間隔が著しく延長することがあります(脳性T波と呼ばれる大きな陰性T波を伴うことが多いです)。
- 電解質異常: 前述した低カリウム血症、低マグネシウム血症、低カルシウム血症はQT間隔を延長させます。逆に、高カルシウム血症はQT間隔を短縮させることがあります。
- 甲状腺機能異常: 甲状腺機能低下症はQT間隔を延長させることがあり、甲状腺機能亢進症はQT間隔を短縮させることがあります。
- 体温: 低体温は心臓の電気的活動を全般的に遅延させるため、QT間隔を著しく延長させます(しばしばOsborn波を伴います)。高体温は心拍数を増加させ、相対的にQT間隔を短縮させる傾向があります。
- 薬剤: QT延長やQT短縮を引き起こす薬剤は多数存在します。QT延長薬についてはLQTSの項で触れましたが、QT短縮を引き起こす薬剤(例:ジゴキシンなど)も存在します。複数の薬剤を服用している場合は、薬剤間の相互作用も考慮する必要があります。
- 自律神経系の影響: 交感神経活動の亢進は心拍数を増加させると同時に、直接心室筋の再分極に影響を与え、QT間隔を短縮させる傾向があります。逆に、副交感神経活動の亢進は心拍数を低下させ、QT間隔を延長させる傾向があります。先天性LQTSのLQT1型が運動・興奮で誘発されやすいのは、交感神経活動亢進時のQT延長異常が背景にあるためです。
- 心筋症: 肥大型心筋症や拡張型心筋症など、様々な心筋症においてQT間隔の異常が見られることがあります。
これらの因子が単独または複合的に作用することで、QT間隔が基準値から逸脱することがあります。心電図でQT間隔の異常が認められた場合、これらの可能性を考慮し、患者さんの病歴、内服薬、電解質データ、他の臨床所見などを総合的に評価することが診断と治療方針決定のために不可欠です。
8. 臨床現場におけるQT間隔の重要性
QT間隔の評価は、様々な臨床状況において非常に重要です。
- 健康診断・人間ドック: スクリーニングとして行われる心電図検査でQT延長/短縮が発見されることがあります。これにより、潜在的なQT延長症候群やQT短縮症候群、あるいは他の心臓病や全身性疾患の可能性に気づくきっかけとなります。
- 不整脈の診断: 失神や動悸などの症状がある患者さんにおいて、心電図でQT間隔の異常が見られれば、それが症状の原因である心室性不整脈(特にTdP)を示唆する重要な手がかりとなります。
- 薬剤投与のモニタリング: 新たに薬剤を投与する際、特にQT延長のリスクが知られている薬剤を使用する場合は、投与開始前、投与中、増量時などに定期的に心電図でQT間隔をモニタリングすることが推奨されます。これは、薬剤性LQTSやTdPの発症を予防するために極めて重要です。特に、複数のQT延長薬を併用する場合や、電解質異常、徐脈などが存在する患者さんでは、より厳重なモニタリングが必要です。
- 手術前評価: 全身麻酔や手術自体が循環動態や電解質に影響を与える可能性があるため、術前の心電図でQT間隔を評価することは、術中の不整脈リスクを予測する上で役立ちます。
- 意識障害・失神の原因検索: 原因不明の意識障害や失神の原因として、一過性のTdPや心室細動が考えられる場合に、心電図(安静時やホルター心電図)でQT間隔の評価を行います。
- 突然死のリスク評価: 特に若年者の突然死の原因として、先天性LQTSやSQTSなどの遺伝性不整脈疾患が挙げられます。心電図でQT間隔の異常が見られれば、これらの疾患や、薬剤性LQTSなどのリスク評価につながります。
- 遺伝性不整脈疾患の診断と管理: 先天性LQTSやSQTSが疑われた場合、QT間隔の評価は診断基準の重要な要素となります。診断確定後も、治療効果判定やリスク評価のために定期的なQT間隔のモニタリングが必要です。家族のスクリーニングにおいても、QT間隔の評価は基本となります。
9. QT間隔に関する注意点と限界
QT間隔の評価は重要である一方、いくつかの注意点と限界があります。
- 測定誤差の問題: 手動測定では観察者間のばらつきが生じる可能性があります。正確な開始点・終了点の判断は、経験と注意力を要します。
- 自動測定の落とし穴: 自動測定は迅速ですが、特にT波の形状が非典型的であったり、U波と重なったりしている場合、あるいは不整脈が存在する場合は、誤った測定値を示すことがあります。自動測定値は常に手動での確認や臨床的な判断が必要です。
- 補正式の限界: Bazettの式は広く使われますが、頻脈や徐脈では精度が低下します。他の補正式も完璧ではありません。特にRR間隔が不規則な心房細動などの不整脈では、正確なQTcを計算することは困難です。
- 境界域の解釈の難しさ: QTcが正常上限に近い境界域の値を示す場合、それが正常範囲内の個人差なのか、潜在的な病態(軽度のLQTS、薬剤への感受性、電解質異常の初期など)を示唆するのかの判断は難しいことがあります。このような場合は、経過観察、誘発試験(運動負荷など)、あるいは遺伝子検査などのさらなる評価が必要になることがあります。
- 心電図所見だけでなく、臨床所見・既往歴・薬剤歴・家族歴との統合的な判断が必要: QT間隔の異常は単独で評価するべきではありません。患者さんの年齢、性別、自覚症状、既往歴(心疾患、脳血管疾患、内分泌疾患など)、現在内服している全ての薬剤、電解質データ、そして突然死や失神の家族歴などを合わせて総合的に判断することが極めて重要です。例えば、明らかなQT延長が見られても、重度の低体温症に伴う生理的な現象である場合や、QT延長リスクのある薬剤を服用しているために後天的に生じている場合、あるいは先天性LQTSによるものである場合など、原因によって対応は全く異なります。
- 専門医へのコンサルトが必要なケース: QTcが著しく延長している場合(例: >500ms)、TdPの既往がある場合、QT延長症候群やQT短縮症候群が強く疑われる場合(診断基準を満たす、特徴的な心電図所見がある、家族歴があるなど)、あるいは原因不明の失神や心停止の既往がある場合は、循環器専門医、特に不整脈専門医へのコンサルトが必要です。
10. まとめ
心電図のQT間隔は、心室の電気的な収縮期、すなわち心室が興奮を開始してから再分極が完了するまでの時間を示す重要な指標です。この時間が異常に長い(QT延長)あるいは短い(QT短縮)と、生命を脅かす心室性不整脈、特にトルサード・ド・ポワント (TdP) や心室細動のリスクが高まります。
QT間隔の評価においては、以下の点が重要です。
- 心拍数への依存性: QT間隔は心拍数によって変動するため、必ず心拍数で補正した補正QT間隔 (QTc) で評価する必要があります。Bazettの式が最も一般的ですが、他の補正式も存在し、心拍数によっては使い分けることが推奨される場合があります。
- 測定の正確性: QRS波とT波の始まり・終わりの正確な特定、U波との鑑別など、測定には注意が必要です。自動測定値は目安とし、必要に応じて手動で確認することが重要です。
- QT延長の臨床的意義: QTc延長は、先天性または後天性のQT延長症候群を示唆します。
- 先天性LQTS: イオンチャネル遺伝子の異常によるもので、遺伝子型によって誘因や心電図所見に特徴があります。失神や突然死のリスクがあります。
- 後天性LQTS: 薬剤、電解質異常(低K, 低Mg, 低Ca)、徐脈などが原因となります。特にQT延長リスクのある薬剤は多岐にわたり、薬剤の相互作用や腎機能・肝機能障害、電解質異常の合併などでリスクが増大します。
- QT短縮の臨床的意義: QTc短縮は、比較的まれな先天性QT短縮症候群を示唆します。これも遺伝子の異常によるもので、心房細動や心室細動、突然死のリスクが高い病態です。
- TdPのリスク: 高度なQT延長、徐脈、電解質異常、薬剤の併用などは、TdP発生の強いリスク因子となります。TdPは心室細動に移行し、突然死の原因となります。
- 総合的な評価: QT間隔の異常は、心電図単独ではなく、患者さんの臨床症状、既往歴、内服薬、電解質データ、家族歴などを総合的に考慮して評価する必要があります。原因の特定と適切なリスク評価が、治療方針の決定に不可欠です。
- マネジメント: QT延長/短縮が認められた場合、原因(薬剤の中止・変更、電解質補正など)の特定と是正が最も重要です。先天性LQTS/SQTSや高リスク患者さんでは、β遮断薬、ICD植込み、ペースメーカー植込みなどが考慮されます。
QT間隔の評価は、潜在的な致死性不整脈のリスクを早期に発見し、適切な予防・治療介入を行うための重要なステップです。特に、多くの薬剤がQT間隔に影響を与える可能性があるため、薬剤処方に関わる医療従事者にとって、QT間隔の知識は必須と言えます。
今後は、遺伝子診断技術の進歩により、遺伝性不整脈疾患のより正確な診断や、個々の患者さんの遺伝的背景に基づいた精密医療の実現が進むと考えられます。心電図のQT間隔は、これらの診断や治療戦略の基盤となる重要な指標であり続けるでしょう。心電図を見る際には、QT間隔に注意を払い、その長さが示唆する意味を深く理解することが、患者さんの安全を守る上で極めて重要となります。