ARPスプーフィングとは?攻撃の仕組みと対策をわかりやすく解説
あなたがカフェの無料Wi-Fiに接続して、いつものようにニュースサイトを閲覧したり、SNSをチェックしたりしているとします。一見、何の問題もない日常の光景ですが、その裏ではあなたの通信がすべて第三者に盗み見られ、重要な個人情報が抜き取られているとしたら…?
このような恐ろしい事態を引き起こす可能性のあるサイバー攻撃の一つが、今回解説する「ARPスプーフィング(ARP Spoofing)」です。
ARPスプーフィングは、古くから知られている古典的な攻撃手法でありながら、その効果と危険性の高さから、今なお多くのネットワークで脅威となり続けています。特に、セキュリティ対策が不十分な公衆無線LAN(Wi-Fi)など、私たちが日常的に利用する環境で実行されやすいという特徴があります。
この記事では、サイバーセキュリティの専門家でなくとも理解できるよう、以下の内容を徹底的に、そしてわかりやすく解説していきます。
- ARPスプーフィングを理解するための基礎知識(IPアドレス、MACアドレス、ARPとは?)
- ARPスプーフィング攻撃がどのように行われるのか、その詳細な仕組み
- 攻撃によって引き起こされる具体的な被害(盗聴、改ざん、なりすましなど)
- 個人ユーザーとネットワーク管理者が取るべき具体的な対策
この記事を最後まで読めば、ARPスプーフィングの脅威を正しく理解し、自分自身や組織の情報を守るための具体的な行動を起こせるようになるでしょう。それでは、さっそくその核心に迫っていきましょう。
第1章: ARPスプーフィングを理解するための基礎知識
ARPスプーフィングの仕組みを理解するためには、まずネットワーク通信の基本的な要素をいくつか知っておく必要があります。少し技術的な話になりますが、ここでは身近な「手紙の配達」に例えながら、できるだけ平易に解説します。
1. ネットワーク通信の基本:IPアドレスとMACアドレス
コンピュータやスマートフォンがインターネットに接続して通信を行う際、主に2種類の「住所」が使われています。それが「IPアドレス」と「MACアドレス」です。
IPアドレス (Internet Protocol Address)
IPアドレスは、インターネットという広大なネットワーク上における、あなたのデバイスの「論理的な住所」です。手紙の例で言えば、「〇〇県△△市□□町1-2-3」といった、いわゆる「住所」に相当します。
- 特徴:
192.168.1.10
や203.0.113.1
のような数字の羅列で表現されます。- ネットワークに接続するたびに変更される可能性があります(動的IPアドレス)。カフェのWi-Fiに接続したときと、自宅のWi-Fiに接続したときでは、通常、異なるIPアドレスが割り当てられます。
- インターネット上の通信相手を特定するために使用されます。
MACアドレス (Media Access Control Address)
MACアドレスは、ネットワークカード(Wi-Fiや有線LANのアダプタ)など、ネットワーク機器そのものに製造段階で割り当てられた「物理的な住所」です。これは世界中で一意の識別番号であり、基本的には変更されません。手紙の例で言えば、住所というよりは「〇〇さん」という「宛名」や、その家に住む個人を特定する名前に近い役割を果たします。
- 特徴:
00:1A:2B:3C:4D:5E
のように、16進数12桁で表現されます。- 機器固有の番号で、原則として変わりません。
- 同じネットワーク内(例:家庭内のWi-Fi、オフィス内のLAN)での直接的な通信相手を特定するために使用されます。
なぜ2つのアドレスが必要なのか?
「なぜ住所が2つも必要なの?」と疑問に思うかもしれません。
IPアドレスは、インターネット全体という広大な世界で通信相手を見つけるための「遠距離用の住所」です。一方、MACアドレスは、Wi-Fiルーターや社内LANのスイッチなど、同じネットワークセグメントという「ご近所付き合い」の範囲で、隣の機器にデータを直接手渡すための「近距離用の住所」です。
例えば、あなたが海外のWebサイトを見たいとき、
1. IPアドレスを使って、そのWebサイトのサーバーが世界のどこにあるのかを特定します。
2. しかし、あなたのパソコンから直接そのサーバーにデータを届けることはできません。まずは「ご近所」の玄関口であるWi-Fiルーターにデータを渡す必要があります。
3. この「ご近所」のルーターにデータを渡す際に、「ルーターさんのMACアドレスはこれだ」と特定して直接データを手渡すためにMACアドレスが使われるのです。
この「ご近所」でIPアドレスとMACアドレスを結びつける重要な役割を担っているのが、次にご紹介する「ARP」です。
2. ARP (Address Resolution Protocol) の役割
ARPは「Address Resolution Protocol」の略で、日本語では「アドレス解決プロトコル」と訳されます。その役割は非常にシンプルです。
「IPアドレスがわかっている相手の、MACアドレスを調べる」
これだけです。先ほどの例で言えば、あなたのパソコンが「ルーターのIPアドレスは 192.168.1.1
だと知っているけど、直接データを渡すために必要なルーターのMACアドレスがわからない」という状況で活躍します。
ARPの仕組み:ご近所でのアナウンス
ARPの仕組みは、非常に人間的な方法で行われます。
-
ARPリクエスト (ARP Request) – 全員に質問
- あなたのパソコンは、同じネットワーク内にいるすべての機器に対して、「このIPアドレス(例: 192.168.1.1)を持っている人はいますかー? もしいたら、あなたのMACアドレスを教えてください!」と大声でアナウンス(ブロードキャスト)します。
- このアナウンスは、ネットワーク内の全デバイスに届きます。
-
ARPリプライ (ARP Reply) – 名乗り出て返事
- アナウンスを聞いた機器のうち、指定されたIPアドレスを持つ機器(この場合はルーター)だけが、「はい、私です。私のMACアドレスは
AA:BB:CC:DD:EE:FF
です」と、質問元のパソコンにだけ個別に返事(ユニキャスト)をします。 - 他の機器は、自分に関係のない質問なので無視します。
- アナウンスを聞いた機器のうち、指定されたIPアドレスを持つ機器(この場合はルーター)だけが、「はい、私です。私のMACアドレスは
-
ARPキャッシュ (ARP Cache) – 一時的に記憶
- 無事にMACアドレスを教えてもらったパソコンは、毎回同じ質問をしなくて済むように、「
192.168.1.1
のMACアドレスはAA:BB:CC:DD:EE:FF
」という対応表を一時的にコンピュータ内に保存します。この保存場所を「ARPキャッシュ」または「ARPテーブル」と呼びます。 - 次回、同じルーターに通信する際は、このキャッシュを見てすぐにMACアドレスを特定できるため、効率的な通信が可能になります。
- 無事にMACアドレスを教えてもらったパソコンは、毎回同じ質問をしなくて済むように、「
3. ARPの致命的な脆弱性
ここまで読むと、ARPは非常に合理的で効率的な仕組みに見えます。しかし、このプロトコルには設計当初からの致命的な脆弱性が存在します。それがARPスプーフィング攻撃の根源となっています。
その脆弱性とは、
「ARPリプライを、誰からのものでも無条件に信じてしまう」
という点です。
ARPには、返事をくれた相手が本当にそのIPアドレスの正当な持ち主なのかを検証する認証機能が一切ありません。つまり、悪意のある攻撃者が「私がルーターです!」と嘘の返事をしても、パソコンはそれを鵜呑みにしてARPキャッシュを更新してしまうのです。
この「性善説」に基づいた設計こそが、攻撃者に付け入る隙を与えています。次の章では、この脆弱性を利用して、攻撃者がどのように通信を乗っ取るのかを具体的に見ていきましょう。
第2章: ARPスプーフィング攻撃の仕組みを徹底解説
前章で解説したARPの脆弱性、「誰からの返事でも信じてしまう」という点を悪用するのがARPスプーフィングです。ここでは、攻撃が実行される具体的なシナリオと手順を、ステップバイステップで詳しく解説します。
攻撃のシナリオ設定
典型的なARPスプーフィング攻撃の登場人物と環境を整理しましょう。
- ターゲットPC(被害者): あなたが操作しているパソコン。IPアドレスは
192.168.1.10
。 - ルーター(ゲートウェイ): インターネットへの出入り口。IPアドレスは
192.168.1.1
。 - 攻撃者PC: ターゲットPCと同じネットワーク(例:同じカフェのWi-Fi)に接続している、悪意を持った人物のパソコン。IPアドレスは
192.168.1.100
。
正常な通信の流れ:
通常、ターゲットPCがインターネット上のWebサイトにアクセスする場合、通信は以下のような経路を辿ります。
ターゲットPC (192.168.1.10) <---> ルーター (192.168.1.1) <---> インターネット
このとき、ターゲットPCのARPキャッシュには「192.168.1.1
(ルーターのIP) → ルーターの正規のMACアドレス」が記録され、ルーターのARPキャッシュには「192.168.1.10
(ターゲットPCのIP) → ターゲットPCの正規のMACアドレス」が記録されています。
攻撃のステップ
攻撃者は、この正常な通信経路に割り込むために、以下の手順で攻撃を実行します。
ステップ1: 標的の特定と情報収集
まず、攻撃者はネットワークに接続し、攻撃用のツール(例: arpspoof
, Ettercap
など)を使って同じネットワーク内にいる他の機器をスキャンします。これにより、ネットワーク内に存在するデバイスのIPアドレスとMACアドレスのリストを入手し、攻撃対象(ターゲットPC)とゲートウェイ(ルーター)を特定します。
ステップ2: 偽のARPリプライの送信(2方向への嘘)
ここが攻撃の核心部分です。攻撃者は、2つの異なる「嘘」を同時にネットワークに流します。
嘘①:ターゲットPCに対して「私がルーターだ」と偽る
攻撃者PCは、ターゲットPC(192.168.1.10
)に対して、偽のARPリプライを継続的に送信します。その内容は以下の通りです。
- 送信元IPアドレス:
192.168.1.1
(ルーターのIPアドレスになりすます) - 送信元MACアドレス:
攻撃者PCのMACアドレス
- 宛先:
ターゲットPC
この偽のARPリプライを受け取ったターゲットPCは、何の疑いもなく「そうか、ルーター(192.168.1.1
)のMACアドレスはこれ(攻撃者PCのMACアドレス)なのか」と信じ込み、自身のARPキャッシュを以下のように書き換えてしまいます。
- 書き換え後のターゲットPCのARPキャッシュ:
192.168.1.1
(ルーターのIP) →攻撃者PCのMACアドレス
(← 騙された!)
これにより、ターゲットPCがインターネットに送ろうとするデータ(本来ルーターに送るべきデータ)は、すべて攻撃者PCに送られるようになります。
嘘②:ルーターに対して「私がターゲットPCだ」と偽る
同時に、攻撃者PCはルーター(192.168.1.1
)に対しても、偽のARPリプライを継続的に送信します。
- 送信元IPアドレス:
192.168.1.10
(ターゲットPCのIPアドレスになりすます) - 送信元MACアドレス:
攻撃者PCのMACアドレス
- 宛先:
ルーター
この偽情報を受け取ったルーターもまた、「なるほど、ターゲットPC(192.168.1.10
)のMACアドレスはこれ(攻撃者PCのMACアドレス)に変わったんだな」と信じ込み、自身のARPキャッシュを書き換えます。
- 書き換え後のルーターのARPキャッシュ:
192.168.1.10
(ターゲットPCのIP) →攻撃者PCのMACアドレス
(← こちらも騙された!)
これにより、インターネットからターゲットPC宛に送られてくるデータは、ルーターから直接ターゲットPCに届くのではなく、一旦攻撃者PCに送られるようになります。
ステップ3: 通信の乗っ取り完了(中間者攻撃の確立)
上記2つの嘘によって、ターゲットPCとルーターの両方が騙され、ARPキャッシュが不正に書き換えられました。その結果、通信経路は以下のように変更されます。
攻撃後の通信経路:
ターゲットPC <---> 攻撃者PC <---> ルーター <---> インターネット
これで、ターゲットPCとインターネット間のすべての通信が、攻撃者PCを経由する状態が完成しました。このような、通信の当事者間に不正に割り込んで通信を中継する攻撃形態を「中間者攻撃(Man-in-the-Middle Attack, MitM攻撃)」と呼びます。ARPスプーフィングは、この中間者攻撃を実現するための代表的な手法なのです。
攻撃者は、通信をただ盗み見るだけでなく、被害者に気づかれないように、受け取ったデータを正規の宛先(ターゲットPCから受け取ったデータはルーターへ、ルーターから受け取ったデータはターゲットPCへ)に転送(フォワーディング)します。そのため、被害者側から見ると、通信速度が少し遅くなったように感じることはあっても、通信自体はできているため、攻撃されていることに気づくのは非常に困難です。
次の章では、この中間者攻撃が成功した結果、どのような恐ろしい事態が発生するのかを具体的に見ていきます。
第3章: ARPスプーフィングによって引き起こされる具体的な脅威
通信の乗っ取りに成功した攻撃者は、あなたの通信を完全にコントロールできる状態になります。これにより、以下のような深刻な被害が発生する可能性があります。
1. 盗聴 (Eavesdropping / Sniffing)
最も直接的でわかりやすい脅威が「盗聴」です。攻撃者は、自身を経由するすべての通信パケットをキャプチャし、その内容をリアルタイムで覗き見ることができます。
- IDとパスワードの窃取: 暗号化されていない(HTTP)Webサイトで入力したログインIDやパスワードは、平文のままネットワークを流れるため、簡単に盗まれてしまいます。
- 個人情報の漏洩: メールの内容、SNSのダイレクトメッセージ、チャットでの会話、Webフォームに入力した氏名・住所・クレジットカード情報などがすべて筒抜けになります。
- 機密情報の窃取: 企業ネットワーク内で攻撃が行われた場合、社外秘のファイルや顧客情報、開発中の製品情報などが盗まれるリスクがあります。
「でも、最近のサイトはほとんどHTTPSで暗号化されているから大丈夫でしょう?」と思うかもしれません。それは半分正しく、半分間違いです。HTTPS通信は強力な暗号化で通信内容を保護しますが、ARPスプーフィングは後述する「SSLストリッピング」という別の攻撃と組み合わせることで、この保護を無力化することがあります。
2. 通信内容の改ざん (Manipulation)
攻撃者は、通信を中継する過程でその内容を自由に書き換えることもできます。これは盗聴よりもさらに悪質な行為です。
- マルウェアの注入: ユーザーが正規のサイトからソフトウェアをダウンロードしようとした際に、そのファイルを悪意のあるマルウェアにすり替えて感染させる。
- フィッシングサイトへの誘導: 正規のサイトにアクセスしているつもりが、攻撃者によって通信内容が改ざんされ、見た目はそっくりな偽のフィッシングサイトに接続させられる。ユーザーは気づかずにIDやパスワードを入力してしまいます。(これは後述のDNSスプーフィングと連携して行われることが多いです)
- 情報の偽装: 例えば、オンラインバンキングの取引中に、振込先の口座番号を攻撃者の口座番号に書き換える、といった極めて悪質な改ざんも理論上は可能です。
3. サービス妨害攻撃 (DoS – Denial of Service)
攻撃者は、中間者として通信を中継するのをやめ、受け取ったパケットをすべて破棄することもできます。これにより、ターゲットPCはルーターと通信できなくなり、結果的にインターネットに接続できない状態に陥ります。
これは、特定の個人やサーバーをネットワークから意図的に切り離すための「サービス妨害攻撃(DoS攻撃)」として利用されることがあります。
4. 他の高度な攻撃への踏み台
ARPスプーフィングは、それ単体でも脅威ですが、他の攻撃と組み合わせることで、さらに深刻な被害を引き起こす「踏み台」としての役割を果たすことが非常に多いです。
-
DNSスプーフィング (DNS Spoofing):
ユーザーが「www.example.com」にアクセスしようとすると、PCはまずDNSサーバーに「www.example.comのIPアドレスは何ですか?」と問い合わせます。ARPスプーフィングで中間者となった攻撃者は、このDNSの問い合わせを傍受し、正規のDNSサーバーからの応答よりも先に、偽のIPアドレス(攻撃者が用意したフィッシングサイトのIPアドレス)を返します。ユーザーのPCは偽の応答を信じ込み、悪意のあるサイトに接続してしまいます。 -
セッションハイジャック (Session Hijacking):
ユーザーがWebサービスにログインすると、その証として「セッションID」という一時的な識別子がブラウザに保存されます。攻撃者は通信を盗聴してこのセッションIDを盗み出し、それを使って正規ユーザーになりすましてサービスに不正ログインします。一度乗っ取られると、オンラインショッピングで勝手に買い物をされたり、SNSアカウントを乗っ取られたりする可能性があります。 -
SSLストリッピング (SSL Stripping):
これはHTTPS通信を無力化する巧妙な攻撃です。- ユーザーが
https://
で始まるサイトにアクセスしようとします。 - 中間者である攻撃者は、このリクエストを受け取ります。
- 攻撃者は、ユーザーの代わりにサーバーとHTTPSで安全な通信を確立します。
- 一方で、攻撃者はユーザーに対しては、暗号化されていないHTTPのページを返します。ブラウザのアドレスバーの鍵マークは消え、
http://
での接続になります。 - ユーザーと攻撃者間は平文のHTTP、攻撃者とサーバー間は暗号化されたHTTPSとなり、ユーザーは安全な通信をしていると錯覚したまま、攻撃者にすべての通信内容を盗聴されてしまいます。
- ユーザーが
このように、ARPスプーフィングは様々なサイバー攻撃の「入り口」となる、非常に危険な攻撃なのです。
第4章: ARPスプーフィングへの対策
これほど危険なARPスプーフィングに対して、私たちはどのように身を守ればよいのでしょうか。ここでは、「個人ユーザーができる対策」と「ネットワーク管理者が行うべき対策」に分けて解説します。
A. 個人ユーザーができる対策
私たちが日常的にできる対策は、ARPスプーフィングそのものを防ぐというよりは、万が一攻撃を受けても被害を最小限に抑えるための「防御的な対策」が中心となります。
1. 信頼できないWi-Fiに接続しない
最も基本的かつ重要な対策です。カフェ、空港、ホテル、駅などで提供されている無料の公衆無線LANは、誰がネットワークに参加しているかわからず、セキュリティ設定も甘い場合が多いため、ARPスプーフィングの格好の標的となります。
- 重要な情報のやり取り(オンラインバンキング、ネットショッピング、仕事のメールなど)は、公衆無線LANでは絶対に行わないようにしましょう。
- どうしても利用する必要がある場合は、後述するVPNを利用することが強く推奨されます。
- スマートフォンのテザリング機能や、モバイルWi-Fiルーターを利用する方がはるかに安全です。
2. VPN (Virtual Private Network) を利用する
公衆無線LANを利用する際の、最も効果的な自衛策がVPNの利用です。
VPNは、あなたのデバイスとVPNサーバーとの間に、暗号化された安全な「トンネル」を構築する技術です。
- 仕組み: VPNを有効にすると、あなたのデバイスから出るすべての通信は、まず強力に暗号化されます。その後、この暗号化されたデータがVPNサーバーに送られ、そこから目的のインターネットサイトにアクセスします。
- 効果: たとえARPスプーフィングによって攻撃者が通信経路の間に割り込んでも、流れているデータはすべて暗号化されているため、内容を盗み見たり改ざんしたりすることが極めて困難になります。攻撃者には、意味不明な暗号データの羅列が見えるだけです。
信頼できる有料のVPNサービスを契約し、公衆無線LANに接続する際は必ずVPNをオンにする習慣をつけましょう。
3. HTTPS通信を徹底する
Webサイトを閲覧する際は、常にアドレスバーを確認し、URLが https://
で始まっており、鍵マークが表示されていることを確認する癖をつけましょう。
- HTTPS Everywhere: 電子フロンティア財団(EFF)が提供しているブラウザ拡張機能で、対応しているサイトでは自動的にHTTPS接続を強制してくれます。SSLストリッピング攻撃に対する一定の防御効果も期待できます。
- ただし、前述の通り、巧妙なSSLストリッピング攻撃によってHTTPSが無効化される可能性もあるため、VPNとの併用が理想的です。
4. セキュリティソフト(アンチウイルスソフト)の導入
最近の統合セキュリティソフトの中には、ファイアウォール機能の一部として、不審なARPパケットを検知・ブロックしたり、ARPキャッシュが不正に書き換えられた場合に警告を発したりする機能を備えているものがあります。最新のセキュリティソフトを導入し、常に定義ファイルを最新の状態に保つことは、基本的ながら重要な対策です。
5. ARPキャッシュの静的設定(上級者向け)
これは技術的な知識を要する上級者向けの対策です。ARPキャッシュの情報を動的に学習するのではなく、手動で正しい対応表を固定(静的設定)する方法です。
Windowsの場合、コマンドプロンプトを管理者として実行し、以下のコマンドを入力します。
arp -s <ルーターのIPアドレス> <ルーターの正しいMACアドレス>
例: arp -s 192.168.1.1 aa-bb-cc-dd-ee-ff
これにより、ルーターのIPアドレスとMACアドレスの組み合わせが固定され、攻撃者による偽のARPリプライで上書きされるのを防ぐことができます。ただし、ネットワーク環境が変わるたびに設定し直す必要があり、管理が煩雑になるため、一般ユーザーにはあまり現実的ではありません。
B. ネットワーク管理者(企業・組織)ができる対策
企業のネットワーク管理者には、より積極的で根本的な対策が求められます。
1. 動的ARPインスペクション (DAI – Dynamic ARP Inspection)
ARPスプーフィングに対する最も効果的で強力な対策の一つです。
DAIは、高機能なネットワークスイッチ(L2スイッチ)が持つセキュリティ機能です。
- 仕組み:
- まず、「DHCPスヌーピング」という機能を有効にします。これは、スイッチがDHCPサーバーとクライアント間のやり取りを監視(スヌーピング)し、「どのIPアドレスが、どのMACアドレスに、どのポートで割り当てられたか」という信頼できる対応表(バインディングテーブル)を作成する機能です。
- 次にDAIを有効にすると、スイッチは自身を通過するすべてのARPパケットを検査します。
- そのARPパケットの内容(IPアドレスとMACアドレスのペア)が、DHCPスヌーピングで作成した信頼できる対応表と一致しない場合、そのARPパケットは不正なものと見なして破棄します。
- 効果: これにより、攻撃者による偽のARPリプライはネットワークに流れる前にブロックされ、ARPスプーフィング攻撃そのものを未然に防ぐことができます。
2. ARPキャッシュの静的設定
個人向け対策と同様ですが、企業環境ではサーバーやルーター、プリンターなど、IPアドレスが固定されている重要な機器に対して静的なARP設定を施すことが非常に有効です。これにより、少なくとも重要インフラ間の通信の安全性は確保できます。
3. IDS/IPS (不正侵入検知・防御システム) の導入
IDS(検知システム)やIPS(防御システム)を導入することで、ネットワーク上の異常なトラフィックを監視できます。ARPスプーフィング攻撃に特徴的な、大量のARPリプライパケットや、一つのMACアドレスが複数のIPアドレスを名乗るような挙動を検知し、管理者に警告したり、通信を自動的にブロックしたりすることが可能です。
4. ネットワーク監視ツールの利用
Arpwatch
のようなツールをサーバーに導入することで、ネットワーク上のIPアドレスとMACアドレスのペアの変更を常に監視し、変更が検知された際に管理者にメールで通知させることができます。これにより、攻撃の兆候を早期に発見できます。
5. ネットワークのセグメンテーション(分割)
VLAN(仮想LAN)などを用いて、ネットワークを部署ごとや用途ごとに小さなセグメントに分割します。ARPの通信(ブロードキャスト)は同一セグメント内にしか届かないため、ネットワークを分割しておくことで、万が一ARPスプーフィング攻撃が発生しても、その影響範囲を限定されたセグメント内に封じ込めることができます。
6. 従業員へのセキュリティ教育
技術的な対策と並行して、従業員への教育も不可欠です。
* 不審な公衆無線LANに接続しないこと。
* 社外で業務を行う際は、会社が支給したVPNを必ず利用すること。
* 不審なメールやURLを開かないこと。
* PCのセキュリティ警告を無視しないこと。
これらを周知徹底させることで、組織全体のリスクを低減できます。
第5章: ARPスプーフィングの兆候と検知方法(参考情報)
万が一、攻撃を受けているかもしれないと感じた場合、その兆候を掴むための方法をいくつかご紹介します。
攻撃の兆候
- 通信速度の異常な低下: 中間者攻撃では、攻撃者のPCを経由するため、通信に遅延が生じることがあります。いつもより明らかにインターネットが遅いと感じた場合は、一つの兆候かもしれません。(ただし、他の原因も考えられます)
- 断続的な接続断: 攻撃者のPCの処理能力が低い場合や、意図的にDoS攻撃を行っている場合、インターネット接続が頻繁に切断されることがあります。
ARPキャッシュの確認による検知
最も直接的な確認方法は、自身のPCのARPキャッシュ(ARPテーブル)を調べることです。
- Windowsの場合: 「コマンドプロンプト」または「PowerShell」を起動します。
- macOS/Linuxの場合: 「ターミナル」を起動します。
- 以下のコマンドを入力して実行します。
arp -a
表示された結果を確認し、以下の点に注意します。
- 重複したMACアドレス: リストの中に、異なるIPアドレス(特に、自分のPCのIPアドレスとルーターのIPアドレス)に対して、全く同じMACアドレスが割り当てられていないか確認します。もし存在すれば、ARPスプーフィング攻撃を受けている可能性が非常に高いです。そのMACアドレスが攻撃者のものです。
- ゲートウェイのMACアドレスの確認: 事前にルーターの裏などに記載されている正規のMACアドレスを把握しておき、
arp -a
で表示されたゲートウェイ(ルーター)のIPアドレスに対応するMACアドレスが、その正規のものと一致するかを確認します。もし異なっていれば、攻撃を受けています。
ネットワーク監視ツールによる検知(上級者向け)
Wireshark
のようなパケットキャプチャツールを使用すると、ネットワーク上を流れる生のデータを詳細に分析できます。
- Wiresharkでキャプチャを開始し、フィルターに
arp
と入力します。 - ARPスプーフィング攻撃が行われている場合、特定の送信元から、ARPリクエスト(who-has)がないにもかかわらず、大量のARPリプライ(is-at)が一方的に送信されている様子が観測できます。これは攻撃の明確な証拠です。
まとめ
本記事では、古典的でありながら今なお強力なサイバー攻撃である「ARPスプーフィング」について、その基礎から仕組み、脅威、そして対策までを詳細に解説しました。
最後に、重要なポイントを改めて整理します。
- ARPスプーフィングの核心: ネットワークの基本プロトコルであるARPの「認証機能がない」という脆弱性を突き、偽の情報を送りつけて通信経路を乗っ取る「中間者攻撃」である。
- 攻撃の発生場所: 特にセキュリティの甘い公衆無線LANなど、攻撃者と同じローカルネットワークに接続している環境で発生しやすい。
- 深刻な脅威: 単なる盗聴にとどまらず、通信の改ざん、マルウェア感染、フィッシングサイトへの誘導、セッションハイジャックなど、様々な凶悪な攻撃の起点となる。
- 個人ができる最善策: 信頼できないWi-Fiを避け、公衆無線LANでは必ずVPNを利用する。 これが被害を防ぐための最も効果的な防御策です。
- 組織が取るべき対策: 動的ARPインスペクション(DAI)の導入が最も根本的な解決策となる。これに加えて、ネットワークの分割や監視、そして従業員教育を組み合わせることが重要。
ARPスプーフィングは、私たちの目に見えないネットワークの裏側で行われる巧妙な攻撃です。しかし、その仕組みとリスクを正しく理解し、適切な対策を講じることで、その脅威から大切な情報を守ることは十分に可能です。
この記事が、あなたのデジタルライフをより安全なものにするための一助となれば幸いです。常にセキュリティ意識を持ち、安全なインターネット利用を心がけましょう。